(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2020年09月15日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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蒲生郡日野町音羽 押盤神社〔旧 綿向本宮〕


滋賀県蒲生郡日野町音羽に鎮座する「押盤神社(おしわじんじゃ)〔旧 綿向本宮(わたむきほんぐう)〕」です。

日野町を訪問して腰が抜けんばかりに驚いた馬見岡綿向神社()の前の元宮ということでしょうか。

今回は山麓側から琵琶湖方面に向かって降りてきました。

土地勘を養うためには良かったようです。


押盤神社(おしわじんじゃ)御由緒略記

古代の日野谷に人々が住み始めた頃から、ここ音羽の地には、複数の古墳を築く程の有力な集落が形成され、人々は間近に聳える綿向山を神の山として崇め、その山頂に天穂日命(あめのほひのみこと)である綿向大明神(わたむきだいみょうじん)を祭祀し、豊かで平和な暮らしを送っていた。

たぶん六世紀の頃、神体山を源とする清らかな二つの川、西明寺川と熊野川が合流するこの聖なる地に、山頂の神を集落の安穏を願って遷し里宮としたのが、この神社の最初である。

その後に仁本木にも村井にも綿向大明神(わたむきだいみょうじん)が勧請されていくことになる。

中世の頃には、多くの修験道者達が綿向山へ入峰をする前に、ここから山頂の神を先ず遙拝する場だったとも伝えられる。

従って、明治を迎えるまでのこの神社の社名は、綿向本宮(わたむきほんぐう)と呼ばれていた。

明治初年に行われた歴代天皇の墳墓調査の際、大和朝廷安康天皇の皇太子であった市辺押盤皇子(いちべおしわおうじ)が、近江の来田綿蚊屋野に葬られたという伝説によって社名を押盤神社(おしわじんじゃ)と改称し、同皇子を合祀した。

これによって祭神は天穂日命(あめのほひのみこと)市辺押盤皇子(いちべおしわおうじ)の二柱となっている。

なお村中にある神清寺(じんせいじ)は、呼称は神泉寺(しんせんじ)であり、綿向本宮(わたむきほんぐう)の神宮寺として神社境内にあった寺である。

― 略 ―

平成六年六月吉祥日』

※ 境内掲示より



押盤神社(おしわじんじゃ)〔旧 綿向本宮(わたむきほんぐう)

明治の初期に、綿向本宮(わたむきほんぐう)と呼んでいた社名を押盤神社(おしわじんじゃ)に変更した。

この神社は日野谷の古代人が神の山と信仰した綿向山頂の神を遷し迎えた里宮であり、村井の馬見岡綿向神社()の創建より古い神社と思われる。

この音羽村には六世紀の頃すでに有力な集落があったと思われ、その頃より鎮守の神であった。

社名は安康天皇の皇子、市辺押盤皇子(いちべおしわおうじ)の伝説地という意味でこの名があり、寺宝や古い祭礼行事等を伝えている。

日野観光協会・西大路公民館』

※ 境内掲示より


一の鳥居から少しばかり迷いながら辿り着きました。

もう少し解りやすいと嬉しいですね。


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