
滋賀県甲賀市信楽町多羅尾にある「高宮神社」です。
多羅尾を通りかかる度にアクセス経路を探していました
案内図では史跡 仕置場(処刑場)跡から先へ進むことになっていたのですが、道にチェーンが張られていて進んでよいかどうか解りませんでした。
前回通りかかった時に真新しい石標に「高宮神社」と彫られているのに気付いて次回訪問時にと思っていました。
今回の参拝では、この神社の壮大さに驚かされてしまいました。

『高宮神社沿革
安政六年(1859)十二月近江蒲生郡八幡町名工高木作右衛門の建築。
造形の規範としては優れた彫刻と色彩豊かな外観であり、屋根の檜皮葺きに特徴がある。
本殿
平成十五年三月十八日「国有形文化財」に登録される。
由緒
当社の起源は、垂仁天皇の御代に天照大神の鎮座の地を求めて、皇女蟻倭姫命が各地を巡行中に、伊賀の国敢都恵宮より垂仁四年淡海国甲可日雲宮に四年間皇大神を奉祀されたと「日本書紀」「倭姫命世紀孝第一巻」「天平永国記」と言う伝承等に記載されている。
この伝記を、天正十三年(1585)に中出治右衛門博霞及び中出雪舟と言う人が書き写した「高宮神社古文書」によると、垂仁四年六月倭姫命がこられた時、里人がお迎えしたことの委細が記録されている。

倭姫命が近江国坂田宮に移られてから後、日雲岳の麓に社を建て皇大神を奉祀し、神明宮または高宮権現と称した。
社名については、仁平年間( 1151 - 1153 )に近衛家が一時期将軍地蔵尊を合祀、愛宕大権現と称して氏神としていたが、合祀は恐れ多いと将軍地蔵尊を小川天満宮に移して古名に復した。
明治に入り火産霊神をお祀りして高宮神社と改める。』
※ 境内掲示より

今では車で通行できるようになっているのがバイパス道路で、この神社を経由して通っている道が元々の街道筋であると推定できます。
この場所にこんなに凄い境内地を備えた神社が鎮座していることに驚くのですが、高くそびえる巨樹の参道などは本当に素晴らしいものです。
まさに神が鎮座するに相応しいという境内でしょう。
多羅尾は信楽に抜けるのに時々通りますのでまた参拝します。
氏子さんは何処に住んでいるのかと考え込むほど集落から離れています。