(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2020年04月07日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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甲賀市甲賀町和田 戦国武将とロマンの里 和田


滋賀県甲賀市甲賀町和田にある「戦国武将とロマンの里 和田」です。

何回か通りかかったことがあるのですが、土地勘が無くて位置取りが出来ていませんでした。


戦国武将とロマンの里 和田

和田惟政(戦国武将)

亨禄三年(1530)近江の国和田に生まれる。幼少のころから近江源氏佐々木六角氏に仕え、定頼公に仕え、定頼公の命を受け足利幕府の世子菊童丸(後の義輝公)に御供衆として仕えていた。成長に伴い武功度々に伊賀守に叙任される。

永禄八年(1565)足利十三代将軍義輝公が逆賊松永久秀等に謀殺され、義輝公の弟奈良興福寺(こうふくじ)一乗院門跡覚慶殿の身辺にも危険が及んできた時、将軍の直臣であった、細川藤孝、大和の米田求政と語らい覚慶殿に仮病を使わせ、求政が医師に化けて寺内に入り込み衣服を取替えて首尾よく外に連れ出すことに成功した。永禄八年七月二十八日の夜であった。

覚慶殿を連れた一行は奈良から上柘植を経て、甲賀郡和田村の惟政の館へ入った。

惟政は足利十五代将軍となる義昭公(覚慶)に仕え、織田信長と義昭公を結び付けて自身は信長公の武将として甲賀武士団を統率して信長公の天か布武に貢献、足利幕府の再興に尽力した。

前期の活躍により摂津の芥川城・高槻城二城の城主として、また京都所司代として洛中の境界争いに端を発した戦闘となり、世に有名な白井河原の合戦となり、荒木村重・中川瀬兵衛等と激突、惟政は部下200と共に玉砕した。

  • 殿山城址

  • 【応和三年(963)頼満公が甲賀郡司として就任、殿山に城を築く。和田氏の始祖清和天皇(第五十六代 858 - 876)より四代目】

  • 公方屋敷跡

  • 【永正七年(1510)和田和泉守惟助(惟政の父)が築城。覚慶(後の足利十五代将軍義昭公)和田亡命の時、永禄八年(1565)史書には「和田いずみが館に入り給う」と記されている。この時、惟政は喜び勇んで己の館の内の一番高い岡山の険阻な処に御所を建て、一族の者と共に砦を築き警護を固めた。】

  • 公方屋敷支城跡

  • 【和田谷の咽喉部を押さえる位置に立地している。和田谷の中央には和田川が南北に流れておりその両側に突出した標高 229m の丘陵頂部に構えられている。ちょうど殿山城と対になる形で谷口を押さえる格好となる。】

  • 和田城跡

  • 【応仁年間( 1467 - 69)和田左京大夫が築く、義輝公が殺された時、惟政は和田城にいて難を免れた。和田城は和田谷の他の城館と連携して機能していた。最奥部に位置し複雑な構造で中心的な城であった。】

  • 和田支城跡1

  • 【和田川左岸最奥部に位置し谷川に突出する標高 240m の丘陵頂部に立地し、対岸には和田城がある。】

  • 和田支城跡2

  • 【和田川左岸に和田支城1とは狭い谷を隔てた北側の丘陵先端に位置する。本城と和田支城1及び3との間隔はそれぞれ 200m 以下である。】

  • 和田支城跡3

  • 【和田支城2とは、200m を隔てた狭い谷の北側の丘陵先端に位置する。和田川の左岸には北側より公方屋敷支城、和田支城3・2・1がほぼ等間隔で供えられている。】

  • 観音山(釣鐘)

  • 【観音山鐘楼の釣鐘は、元最法寺にあったもので、最法寺が廃寺になった時、観音山へ運ばれた。太平洋戦争の末期に徴発され代わりに半鐘が吊られていたがヒビ割れして音がでなくなっていた。平成二年区民の総意により寄付斉納で釣鐘最鋳、十月完成した。】

  • 善福寺

  • 春日神社・最法寺跡

  • 【元、和田、高嶺、五反田の氏神であった。創立年は不詳だが永正年間( 1505 - 51 )再建の由を伝う。元禄十三年再興の記録あり。このとき殿様より材木ならびに金五両を贈る。文化五年(1808)又、再興されている。明治四十四年村社八幡神社が油日神社に移転の時、合祀合霊された。(最法寺は春日神社の別当寺)】

  • 行者碑

  • 稲荷さん

  • 【稲荷まつり:第八組稲荷山に正一位稲荷大明神がある。御神威は心身健全・五穀豊穣・商売繁盛・芸能成就・福徳円満、交通安全等に極めて著しいのである。先人のご尽力により明治十年御分霊を勧請し、今ここに百三十有余年の歴史を持ち続けている。昭和六十二年以来毎年七月稲荷講主催のもとに万灯を献じ盛大に稲荷まつりを斉行している。】

  • 浅間山

城跡は、知識の無い私には解りにくい遺跡ですし、アクセス経路が解りにくくて、辿り着いても良く解らないことが少なくありません。

何回か訪問している間に解ってくるのでしょうか。


関連情報レポートリンク

【地域名所案内図(マップ)】