(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2020年04月02日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大津市坂本 天台宗 求法寺〔走井元三大師堂〕


滋賀県大津市坂本にある「天台宗 求法寺(ぐほうじ)走井元三大師堂(はしりいがんざんだいしどう)〕」です。

「石積みの門前町 坂本マップ」というリーフレットによると『坂本は三塔十六谷、三千坊といわれる権勢をふるった比叡山延暦寺(えんりゃくじ)の…日吉大社(ひよしたいしゃ)参道の左右に並ぶ寺々は総て延暦寺(えんりゃくじ)の里坊で…』とあるのですが、本当にお寺が所狭しとあります。

ところがこのお寺は日吉大社の鳥居をくぐった参道脇にあります。

そして直ぐに「大宮橋(おおみやばし)」と「走井橋(はしりいばし)」が横を流れる大宮川に架かっています。


『滋賀県指定有形文化財

求法寺(ぐほうじ)走井元三大師堂(はしりいがんざんだいしどう)

所在地 大津市坂本五丁目

指定年月日 平成十年六月十九日

求法寺(ぐほうじ)延暦寺(えんりゃくじ)登山口の本坂脇に位置する。

由緒には、第十八世天台座主(てんだいざす)慈恵大師(じえだいし)良源大僧正(りょうげんだいそうじょう)元三大師(がんざんだいし))が、初登山の時ここで入山修行の決意を固めたことから求法寺(ぐほうじ)と称されたとある。

この建物は、元亀二年(1571)に焼失の後、正徳四年(1714)に上棟されたものである。

平面は、元三大師(がんざんだいし)を祀る正堂(しょうどう)内陣(ないじん))前面に、参詣の場である礼堂(らいどう)外陣(げじん))が接続し凸型になっている。

正堂(しょうどう)は間口三間、奥行き三間、屋根は入母屋造(いりもやづくり)である。

礼堂(らいどう)は間口五間、奥行き三間で、中央部の三間×一間を内陣(ないじん)に取り込み、屋根は入母屋造(いりもやづくり)、正面に軒唐破風(のきからはふ)を付け、、全体を柿葺(こけらぶき)とする。

走井元三大師堂(はしりいがんざんだいしどう)は、建築年次が明確な江戸時代中期の建築である。

礼堂(らいどう)は、内部を広くするため柱を省略し虹梁(こうりょう)大瓶束(たいへいつか)にするなど、豪快な架講(かこう)は近世の社寺建築のなかでも技術的に優れている。

これは近くの西教寺(さいきょうじ)本堂(重要文化財:1739年建立)にも共通する流派的特色で、棟梁中島次郎左衛門の技量のほどが良くうかがわれる。

平成十三年三月

滋賀県教育委員会』

※ 境内掲示より



『厄除け大師

おみくじ大師

求法寺(ぐほうじ) 走井堂(はしりいどう)

本尊 元三大師(がんざんだいし)慈恵大師(じえだいし)良源大僧正(りょうげんだいそうじょう))重要文化財

脇仏 如意輪観音、三十三所観音、不動明王ほか

由緒

当堂はもと第四世天台座主(てんだいざす)安恵和尚(あんねかしょう)(801 - 864)の里坊として創建された。

のち比叡山の中興の祖である第十八世座主(ざす)慈恵大師(じえだいし)良源大僧正(りょうげんだいそうじょう)(912 - 985)が、若き十二歳のころ、比叡山への入山修行の決意を固められた浄域であるところから「求法寺(ぐほうじ)」と名付けられた。

また古来より波止土濃(はしどの)橋殿(はしどの))又は走井の地名に因んで本堂を「走井堂」と称している。

本尊はご自作と伝える元三大師(がんざんだいし)尊像(秘仏)であり、観音菩薩の化身としてその霊験は誠にあらたかである。

折りなば 願ひも三つの橋殿(はしどの)

 寺の渡りぞ 弘誓(ぐぜい)なるらん

※ 境内掲示より


これだけの情報があると嬉しいですね。

「秘仏」というのは、個人的には好きではありません。

何となくですが、閉鎖的であると感じてしまうのです。