(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2019年10月04日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


xHOTZONE Go to xDataBase viewhalloo Tips p2pzigzag p2pzigzag hrkz p2pzigzag Go to Home evtcal reporter2

甲賀市甲賀町隠岐 椿神社〔薬師寺〕


滋賀県甲賀市甲賀町隠岐に鎮座する「椿神社(つばきじんじゃ)薬師寺(やくしじ)〕」です。

神社の鎮座する小高い位置にある境内の下方にには薬師寺(やくしじ)のお堂と収蔵庫があります。

神仏習合の名残でしょうか。

お彼岸で急に涼しくなったのか、尾根沿いに見える祠に進むと薮蚊だらけで少しばかり閉口しました。


椿神社(つばきじんじゃ)

御祭神

  神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのすめらみこと)(神武天皇)

配祀神

  宇多天皇(うだてんのう)佐々木五郎義清(ささきごろうよしきよ)

由緒

弘文天皇のご治世の時、壬申の乱がおこり、この地で布陣していた大海人軍の田中臣足摩侶に近江朝廷軍の別将田辺小隈が夜襲をかけ、大海人軍は敗れたが大海人皇子(おおあまのおうじ)(天武天皇)らは椿樹の洞孔に隠れて難を免れた。

そこに祠を建て皇祖を祈ったのが当社の創始と伝えられる。

本社は隠岐、神保の総社で、末社に神明(しんめい)八王子(はちおうじ)津島(つしま)春日(かすが)菊水(きくすい)の諸神を祀る。

正平八年(1353)本殿を再建した棟札がある。

天文十六年(1547)御奈良天皇より「正二位大明神」の勅額を賜った。

鎌倉時代、佐々木秀義の五男、五郎義清がこの地を領していたが、出雲、隠岐二国の領主となった。

佐々木義清の子孫、佐々木兵庫守清三が出雲から帰郷し、隠岐城を築き、この地名を隠岐と改め、正平八年(1353)に社殿を再興、佐々木氏の先祖宇多天皇と初代領主義清を合祀、天明六年(1786)社殿を改築した。

祭礼には武芸を練る流鏑馬(やぶさめ)を奉納するなど武将の崇敬が厚かった。

四月三日

 流鏑馬 無形民俗文化財 町指定 昭和五十七年三月三十日』

※ 境内掲示より



流鏑馬(やぶさめ)鏑流馬(やぶさめ)椿神社(つばきじんじゃ)

1336年―1428年の南北朝時代、当地の領主、佐々木五郎義清が凶徒を制し悪魔降伏を神に祈念するため馬にまたがり矢を射る神事を奉納したことが始まりと伝えられる。

乗馬する者は二十歳から三十歳(数え年)までの男子氏子で毎年三月一日のみくじ祭の神事によって決められる。

現在使用している鞍に寛文元年(1661)の、年号が記され、更にそれ以前の古い鞍が現存することから神事の起源は相当古いものと思われる。』

※ 境内掲示より


流鏑馬(やぶさめ)は、ニュースなどでは見聞きしていたのですが、伊賀・名張に越してきて伊賀市白樫に鎮座する岡八幡宮(おかはちまんぐう)が有名であることを知りました。

人で込み合った場所には行きたくないという思いから祭礼時には訪問参拝していません。

「郷社」と彫り込まれていますが、格が重要なのでしょうか。


関連情報レポートリンク

【滋賀県甲賀市 神社一覧】