
滋賀県蒲生郡日野町村井に鎮座する「馬見岡綿向神社〔公式HP〕」です。
ゴールデンウィークの最終日(2016)で天気も良かったので、どこかへ行くかと地形図を出してきて「滋賀県の日野町ってどの辺りか」と考えてこの神社を目的にドライブルートマップを探りました。
大凡の場所が分かったので取り敢えず日野駅までやって来て散策し、「ぐるりHINOまっぷ」を昼食時に手に入れてやってきました。
腰が抜けるような驚きでした。

『馬見岡綿向神社
御祭神
天穂日命
天夷鳥命
武三熊大人命
御由緒
当神社の起こりは、当方に気高く聳える綿向山の頂上に神武天皇の御宇出雲国の開拓の祖神を迎え祭り、欽明天皇六年(545)その頂上に祠を建てたのが始まりと伝える。
その後、平安時代の初期、延暦十五年(796)に里之宮としてて、現在の地に遷し祀られたという。

以来、延喜式神名帳にもその名が見え、蒲生上郡の総社、日野の里の大宮として、何時の時代も当地の産土神と、人々の信仰の中心となってきた。
珠に鎌倉時代から安土桃山時代にかけて、この地の領主でもあった蒲生氏一族は、氏神として尊び庇護し、更に江戸時代に全国に名をはせた近江商人の内の日野商人達の巨万の財力にも支えられ、出世開運の神として崇敬が集められ、明治九年郷社に列せられた。
そして、今の世も氏子人等の心の拠り処と崇め親しまれている。
その始めを嘉応二年(1170)とする春季例大祭(五月二日・三日・四日)日野祭りと称し、三人の神稚児や三社の神輿、十六基の曳山車を中心に、古式ゆかしく絢爛豪華に繰り広げられる祭礼は県下にも有名で、県の無形文化財に指定されている。
なお、綿向山頂(標高1,110米)に祀る奥之宮(大嵩神社社)は、古来より二十一年目毎に社殿を建て替える式年遷宮の祭事が、今日も絶えることなく続けられている。』
境内掲示より

『日野商人と綿向神社
神社の境内には、日野商人が旅の安全を祈願して建てた燈籠や、辻惣兵衛が関東から松の盆栽の根元へ小判を埋めて持ち帰り、それを記念にと植えた「千両松」をはじめ、日野商人の代表者中井源左衛門が寄付した拝殿や絵馬堂、祭礼絵馬等をみることができる。
江戸時代、全国に雄飛した日野商人の敬神のあつかったことを物語る神社である。
日野観光協会・日野公民館』
※ 境内掲示より

『千両松
江戸時代の後期伊豆の三島に醸造業の店を出し商売に励んだ辻惣兵衛は巨万の富を築いた日野商人の一人である。
惣兵衛は儲けたお金を故郷に持ち帰るため度々三島と日野の間を往復したがその頃会堂で大金を持ち歩きすることは山賊や盗賊がいるためなみ大抵のことではなかった。
惣兵衛は思案の末無事持ち帰ることが出来た。
これは神の加護のおかげと、神社の境内にこの松を植えたのである。
この松を人々は千両松と呼んでいる。
日野観光協会・日野公民館』
境内掲示より
盛りだくさん過ぎて一度にレポートできません。
春季例大祭の「日野祭」は五月二日・三日・四日らしく残念でした。
この神社の境内のために道路が大きく曲げられています。
驚きの規模の神社です。