(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2018年09月03日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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守山市欲賀町 浄土真宗本願寺派 湯出山 浄光寺


滋賀県守山市欲賀町にある「浄土真宗本願寺派 湯出山 浄光寺(じょうこうじ)」です。

守山市内を迷走してこの寺院に辿り着いて参拝したのですが、門前の由緒書きの石碑を少しだけ読んで意味不明でした。

全てをしっかりと読むと現在の号名になった経緯が良く理解できます。

それにしても何処かで読んだような内容に少しばかり驚きと興味が湧いてきました。


欲賀寺(よくがじ)史略

持統九年(695)都賀山の西側より温の泉湧出、天皇叡感のあまり百済国の僧豊妙に命じて薬師如来(やくしにょらい)の尊像を彫刻し、一宇の精舎を建立。

帝も小像を刻み御腹内に納められ本尊となし鎮護国家世の病苦を除かんと誓願し給う。

精舎を欲賀寺(よくがじ)と称し興福寺(こうふくじ)の別院となす。

法相三論兼学の道場とし給ふ。

弘仁十四年8823)大安寺の僧永厳来るや大和大安寺(だいあんじ)別院病療院欲賀寺(よくがじ)と改称。

正嘉元年(1257)僧空真の時郡邑を勧進し諸堂を建立。

その数四十五に及ぶ。

当時の諸堂等の配置絵図大安寺(だいあんじ)に所蔵するを天正十二年(1584)模写せるもの当寺に珍蔵さる。

建武元年(1334)兵火に罹り諸堂は灰塵に帰す。

幸い帝直作の薬師小像は御腹内に在って無事なるを知り寺内に小堂を建て安置す。

1370年頃、寺田豊前守清心江州箕浦より欲賀に移住その子清通出家して小堂の守護に当る傍を天台止観を学んで硯学となる。

晩年真宗に帰依し本願寺(ほんがんじ)六代巧如法主の時本願寺派末寺となる。

小堂を念仏道場とす。

嘉吉二年(1442)逝去未来孫代当寺住職となり今日に至る

元和九年(1623)小堂の薬師仏(やくしぶつ)を寺外に奉遷。

間もなく正保三年(1646)本願寺(ほんがんじ)より阿弥陀仏(あみだぶつ)木造を拝受し本尊とし念仏道場を改めて湯出山浄光寺(じょうこうじ)と称す。』

境内掲示より


悠久(ゆうきゅう)醴泉(れいせん)にもよく似た内容の記述があります。