(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2018年07月28日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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甲賀市水口町伴中山 三十八社神社


滋賀県甲賀市水口町伴中山にある「三十八社神社(さんじゅうはっしゃじんじゃ)」です。

甲賀市水口町に鎮座する神社には太鼓橋が良く見られます。

私は、大阪府、奈良県、三重県、滋賀県、京都府のかなりの数の神社を参拝していますが、そんなに多くは見ませんでした。。

人々の往来も多くて歴史を重ねた東海道周辺の神社の特徴でしょうか。


三十八社(さんじゅうはっしゃ)御由緒

主祭神

国狭槌命(くにのさづちのみこと) 瓊々杵尊(ににぎのみこと) 菅原道真公(すがわらみちざねこう)

抑も三十八社本緑記によれば当社の創立は延暦年間に国狭槌命(くにのさづちのみこと)を奉斎したるに始まり、天孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)並びに天降供奉の三十二神及び五部神を合祀するところにして三十八社(さんじゅうはっしゃ)と称号せりと。

又旧記三十八処大明神縁起によれば、其の後の貞元元年慈恵大師(じえだいし)が勅を奉じて中山寺建立の砌、天神七代、地祇五代、般若十六善神、法華十羅刹を勧請され、三十八処大明神と号し之を同寺の守護社に充て、又鎮守として伴郷の惣社としたとあり、是れ何れも当社の起源なりという。

爾来多くの年所を経て同寺と共に幾多降替変転を免れざるも当社のみ尚旧摸を存し、当地方の霊社ととして民衆の崇敬を厚くし続けたり。

元来中山村は柏木御厨五郷の一に属し、その保司橘道俊、浄俊等の菅治に係り、延慶年間伴大隈守資景以下累世当村を領治せしより当社を尊崇し、応安及び天和年間に社宇を重修、神田の確保に努め、伴氏の一族をもって神官となし、寛文以来は別当智禪院(ちぜんいん)の司配に属し、正徳以降は水口城主加藤氏菅治の下に属せるをもって同氏は封内巡視毎に参拝し、領内の安全を祈り、麾下美濃部氏は庄屋に命じて社費を分担出資せしむ。

明治九年十月村社に列し、又社地は美濃部四家の采地あるをもって菅原道真公を奉斎せる神社並びに、天満神社の二宇ありしを大正六年に夫々本社に合祀し祭神となす。

例祭日

四月二十日』

境内掲示より



三十八社神社(さんじゅうはっしゃじんじゃ)本殿(ほんでん)

二間社流造 檜皮葺(現 銅板被せ)

江戸時代(天和三年)

当社の名はすでに鎌倉時代の資料に見え、近世以前は「三十八所大明神(さんじゅうはっしょだいみょうじん)」と称していた。

二間社流造(にけんしゃながれづくり)の本殿は全県的にも珍しく、細部意匠も凝っている。

庇柱が(けやき)である他は、全て良質の(ひのき)を用い、仕事も巧みである。

当初材の残りも良い。

本町を代表する近世神社建築で、十七世紀後半の基準作としても貴重であり、平成八年水口町の文化財に指定された。

水口町教育委員会』

※ 境内掲示より


なかなか興味深いことです。


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