(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2017年11月23日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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守山市守山 三津川


滋賀県守山市守山にある「三津川(みつがわ)」です。

娘がこの近くに居住していたので守山市内を散策したのですが、旧中山道の守山宿にのこの地は史跡などが多数あり私にとっては最高の散策エリアでした。

ほぼ平地で渋滞が無ければ住みやす場所なのでしょう。

私が子供のころに彦根と大阪の往復で車窓から見た大津から彦根の間は、記憶に残る景色は水田が主であとは畑というもので集落がその中にポツンポツンと点在しているものでした。

様変わりしました。


三津川(みつがわ)

この川は、油池(あぶらいけ)などの野洲川伏流水(ふくりゅうすい)を導いた川で、ここから約八十m上流になる分水石(ぶんすいせき)で、中川、南川、北川の三本の川に分かれています。

中川は三宅町(みやけちょう)、南、北川は金森町(かねがもりちょう)田用水(でんすいよう)で、江戸時代には用水を巡る激しい争いが絶えない川でした。

金森自治会には寛永(かんえい)年間の水争いを記録した古文書が多数保存されています。

この古文書には、「川浚(かわさら)えの土を他方の川に投げ入れるのをくり返したため、代官(だいかん)が、川幅を幅杭(はばくい)で定め、三本の川底に一定間隔で定石(じょうせき)と呼ばれる延べ石を置いた」裁定(さいてい)などが記録されています。

定石は、川底を(さら)えても(せき)の役割を果たす仕組みです。

三本の流れのうち、北川は森山高校の手前で大きく北側に向きを変え、残りの二本ももうしばらく並行して流下します、

江戸時代の際立った水論の跡として大変貴重です。』

境内掲示より


人口が減少しているのに、勤務地から離れて郊外に住むといライフスタイルが変化していくのではないでしょうか。

河内平野に住んでいた時の周辺は空き家ばかりでした。