
滋賀県甲賀市甲南町森尻に鎮座する「矢川神社」です。
甲賀市甲南町寺庄の「六角堂」から杣川沿いに進んで来たのですが、土地勘も無いので何処にいるのかも解らないまま立派な鳥居と高樹木のある参道に導かれて到着しました。
立派な神社ですが、土地勘も事前知識も無くやって来ました。
水口町の神社には太鼓橋が多いようです。

『甲賀開拓の祖神
矢川神社
御祭神
大己貴命
矢川枝姫命
由緒
当社は奈良時代の天平年間に甲賀杣・矢川津守護の神社として創建されたと伝え、平安時代の延喜式神名帳に甲賀八座の筆頭の神社として登載された式内の古社である。
中世を通じて甲賀武士団の崇敬を受け、甲賀郡中惣の参会が、しばしば当社において行われた。
江戸時代には水口藩の崇敬者に定められ社殿の造営・境内の整備が進められた。
天保十三年の秋、幕府の検地に反対して当社の社頭に決起した天保一揆(甲賀騒動)は世に広く知られている。
当社の氏子は寺庄・葛木・深川・深川市場・稗谷・森尻・宝木・杉谷・塩野の九大字に及び、崇敬者区域には希望ヶ丘・耕心区・ニューポリス区がある。
当社の境内はおよそ一万三千坪を数え、杉・檜を主とする美林は平地に残存する広大な鎮守の森として著名である。

例祭
矢川まつり 五月一日 神輿の渡御がある
池ヶ原神社 境内林中の弁天池に鎮座する
八坂神社 大字森尻の産土の神である
屋船神社 大字宝木の産土の神である
楼門 室町時代中期
襖絵 江戸時代後期
太鼓橋 江戸時代初期
句碑 甲賀衆のしのびび賭や夜半の秋 与謝蕪村
平成二年十一月建立』
境内掲示より

滋賀県指定有形文化財
『矢川神社楼門
昭和四十一年七月四日指定
神社の創建は明らかでないが、延喜式神名帳に載る古社である。
楼門は、社記によれば文明四年(1472)大和国布留郷五十余村から雨乞いの返礼として寄進建立されたと伝える。
建物は、県下に遺構の多い三間一戸楼門という形式で、正面三間、側面二間に扉が取り付き屋根は入母屋造の茅葺。
当初は本来の二階造り楼門であったが、文禄年間(1592 - 1596)の大風で、上階は組物より上を失い現在の形になったという。
組物や蟇股、頭貫木鼻、蓑束等の彫刻に室町中期の意匠を窺い知ることができる貴重な建物である。
平成三年三月
滋賀県教育委員会』
※ 境内掲示より
『矢川神社
県指定有形文化財
棋書仙人図・山水図
この障壁画はもと矢川神社の別当寺、矢川寺清浄院の書院にあったもので、江戸時代後期の文人画家横井金谷の作である。
一つのまとまりとして四つの画題が書かれており、うち一つは棋書仙人図で他は山水画である。
矢川神社の作品は近江蕪村と称された彼の晩年の大作である。
(現在県立美術館に寄託中)
平成十四年三月
甲賀市教育委員会』
※ 境内掲示より

市指定有形文化財
太鼓橋
太鼓橋と呼ばれる石造りの反り橋で、社蔵の「そりはし万事日記」から寛文十一年(1671)に架橋されたことが知られる。
構造は、三列三行に建て並べた九本の円柱を貫でつないで橋脚とし、その上に貴重な梁と桁とわたし板石を並べている。
架橋年代が明らかな大型の石造橋として貴重である。
平成十四年三月
甲賀市教育委員会』
※ 境内掲示より
他にも境内には「国指定史跡 甲賀郡中惣遺跡群」と彫られた石碑があります。
立派な神社です。
また参拝します。