(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2016年09月07日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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甲賀市信楽町勅旨 天神神社


滋賀県甲賀市信楽町勅旨に鎮座する「天神神社(てんしんじんじゃ)」です。

いつもと違い国道ではなく旧街道と思われる集落の道を辿って来ました。

それにしても結構な数の神社が鎮座しているなという印象です。

住民の数の割には多いなと思うのですが、放置されている印象がないのが流石であると思います。


天神神社(てんしんじんじゃ)

祭神

 大己貴命(おうむなちのみこと)

 高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)

 淳仁天皇(じゅんにんてんのう)

由緒

当社の紀元は人皇第四十七代淳仁天皇天平宝宇五年(761)勅旨の里に遷都なされ翌六年二月廿八日勅願により荘厳なる社殿を建立

高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)大己貴命(おうむなちのみこと)を祭祀鎮座あらせられ天神宮(てんじんぐう)の社号を賜る淳仁天皇(じゅんにんてんのう)は天平宝宇二年(758)に御即位なされたが、当時は仏教が隆盛なるにつれ僧侶の尊横著しく特に先帝孝謙院と僧道境の関係が親しくなるを嫌ひて一族郎党の勅使を従がへ瀬田神領より大戸川沿いに勅旨の里に辿り着き御遷都されたもので之を保良の宮と云はれている。

平城京(へいじょうきょう)都にては行方不明となって居り「信楽や外山の奥に分け入りて邂逅(かいこう)が保良に吾れありとしれ」の御製によって帝の行方が分りお迎へがあり従淡路にて崩御された。

淳仁天皇(じゅんにんてんのう)の帰京後勅使(藤原氏)の一部が残り後天皇が崩御なされたことを知り天皇を慕いて天平神護元年(765)十二月帝の霊神を合祀したのである。

承暦元年(1077)白河帝に社殿の再建を勧進し光源教寺玉桂律寺別当社僧となり神に仕へ守護の任に当たっている。

南北朝時代兵火により社殿焼失正慶元年(1333)三月廿二日再建

金勝山会蔵坊阿闍梨法印実観導師となり衆僧十二人光源社僧及神主称宣巫女稚児を従へ盛大に大遷宮が営まれている。

天神宮(てんじんぐう)は近郷に最も古い霊験妙にして諸願全就人は崇神の念厚く縁日には参詣者が長蛇の列をなしていたと伝へられている。

天神宮(てんじんぐう)は信楽八郷の総社であった(年代不詳)が後、柞原が分離し勅旨のみの氏神となる。

宝暦二年(1752)社殿老朽により建直したる嘉永二年(1849)七月氏子の不注意により消失し直に再建出来ず仮社殿にあること十八年漸く慶応三年(1867)五月再建なり今日に至っている。

例祭日

 十月十九日 出来日待祭

 十月二十日 例祭

  天神神社社務所』

境内掲示より


歴史のある神社のようですが、突然紫香楽宮(しがらきみや)〔宮町遺跡〕へと向かったのではなくそれ以前からこの地には人が往来し住み着いていたようです。

交通の要衝であり、歴史を積み上げてきたという事のようです。


関連情報レポートリンク

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