
滋賀県甲賀市土山町北土山に鎮座する「田村神社〔公式HP〕」です。
甲賀市の中でも全く土地勘が無い土山町に初めてやって来ました。
鈴鹿峠の直ぐ滋賀県側であることは知りませんでした。
道路標識に地名が出てくることが少なくなくどこだろうと思っていました。

『田村神社
祭神
坂上田村麻呂公
嵯峨天皇
倭姫命
由緒
厄除の大神として篤いご崇敬を集めておられる田村神社の御祭神「坂上田村麻呂公」は、平安朝のご歴代、桓武、平城、嵯峨天皇に仕え、そのご忠勲とご功績は後世まで高く讃えられ、比類無き傑出した英雄として、現代に至るまで歴史を通じて敬仰されてまいりました。
延暦十六年(797)、征夷大将軍に任ぜられたことはあまりにも有名である。
当社の由緒によりますと、田村麻呂公は、弘仁元年(810)嵯峨天皇の勅命を受け、交通の要所である近江、伊勢の国境、鈴鹿山道に跋扈し旅人を悩ましていた悪鬼を討伐され、その障害を除き一路平安を確保されました。
このご遺徳を仰ぎ、田村麻呂公ご逝去の翌年となる弘仁三年(812)、ご由縁の地たる土山に、嵯峨天皇の勅願所として祀られ高座田村大明神と称したと伝えられています。』
リーフレットより

『矢竹(厄除矢)の由来
御祭神坂上田村麻呂公が、勅を奉じて鈴鹿山中に跋扈し旅人等を悩ます悪鬼(俗に言う山賊)を言向け平定された際、御弓矢を張り給いて申された「今や悪鬼も無し、これより此の矢の功徳を以て万民の災いを除かん、此の矢の落ちたる地が吾が宮居として斎き祀れ」放たれた矢は、ここ本殿前に落ち、不思議なことに青々と芽が出て育ち、現在の矢竹になったと伝えられています。
以来、田村大神の御心を心として神矢を奉製し、矢の功徳を以て御崇敬者の厄災を祓い開運恵方を導く深き信仰となったのであります。』
※ 境内掲示より

私は最初は田村神社に気づいていませんでした。
この周辺に出てきて「江ノ島神社(白川神社御旅所)」から国道1号線に出ないで下ってきて「田村川橋・高札」に気が付いて橋を渡るといつの間にか田村神社に辿り着いたというのが本音です。
事前情報を調べてこなかったのでさっぱりです。
東海道五十三次の四十九番目の土山宿であることさえ知りませんでした。
じっくりと廻ってみます。
史跡や神社仏閣が数多く在りそうです。