(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2016年08月22日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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甲賀市信楽町小川 真言宗智山派 現象山 大光寺


滋賀県甲賀市信楽町小川に鎮座する「真言宗智山派 現象山 大光寺(だいこうじ)」です。

多羅尾経由で信楽方面へ向かう途中の史跡や寺社仏閣を訪問して説明書き等を読んでいると、必ずと言って良いほど、このお寺の名前がありました。

とは言え土地不案内で何処にあるのかも解らず取り敢えず多羅尾から信楽へ向かって走って来ると、天満神社(てんまじんじゃ)天満宮(てんまんぐう)高山神社(たかやまじんじゃ)が並んで鎮座している近くに社号を刻んだ石標が有りました。

寺までの道はあまり広くなく寺が谷合のどん詰まりにあると云う様子です。


大光寺(だいこうじ)

山号を現象山という。

天平十年(737)飛鳥内親王の御願により、行基が創建し、聖武天皇の勅願所となったとなったと伝えられている。

本尊は地蔵菩薩である。

幾度かの火災にあい消失したが、明和元年(1763)現在の堂が再建された。

東北八丁寺谷という所に旧大光寺跡があるといわれている。

正応四年(1291・鎌倉時代)左大臣の宮を辞した近衛家とその子、経平がこの地に隠れ住んだ。

経平と土地の女との間に生れた子が多羅尾氏の祖、高山太郎師俊である。

本堂裏山左方に家基、経平、師俊、三代の石碑が立ち並び近衛家の墓所として名高い。』

境内掲示より



大光寺(だいこうじ)

この寺は奈良時代天平十年(737)聖武天皇の勅願により僧「行基」によって創建された。

本尊は「行基」自作と伝えられる地蔵菩薩である。

又、今からおよそ七百年ほど以前正応年間(鎌倉時代)左大臣の位にまでのぼった近衛家基とその子経平の父子がこの地に隠れ住む事となり、その孫が多羅尾氏を名乗って、後の代官となった。

境内には近衛家の墓石や多羅尾家初代高山太郎等の墓があり、近衛家の菩提寺として信楽地方では特に由緒深い寺である。』

※ 境内掲示より


説明されている内容を詠んでいると往古の支配階級が延々と子孫を反映させていることが読み取れます。

藤原鎌足を祖とする藤原氏の流れをくむ系統であり、未だにこの一族が日本の支配階級であることの証左であるとも言えるのではないでしょうか。

神社の神主等に子孫を配して「鈴木」という苗字もその系統であるという情報を見たこともあります。

政治家の世襲を問題視してる発言などもありますが、実態はこのような社会構造の下で私達が生を営んでいることに気が付くべきなのかもしれません。

藤原氏が渡来人であるというのが本当であれば真に混沌とした状況であるという事が良く解るのではないでしょうか。