(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2016年07月03日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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守山市今宿 樹下神社


滋賀県守山市今宿に鎮座する「樹下神社(じゅげじんじゃ)」です。

守山市横江町に鎮座の樹下神社(このしたじんじゃ)と読んでいるようですが日本語は難しいと思います。

ネットで確認すると樹下神社(じゅげじんじゃ)は主祭神が『大山咋命の妻・鴨玉依媛(かもたまよりひめ)をお祀りされている』ので「櫛稲田媛命(くしいなだひめのみこと)」は違うのでないかとも記されています。

合祀令の関係で祭神が増減したり、名称が変わったりしているしているのでしょうか。


樹下神社(じゅげじんじゃ)

当地勧請 年暦不詳

由緒

当社の祭神は八岐大蛇(やまたのおろち)の神話で有名な稲田姫命(いなだひめのみこと)を奉祀する。

昔は十禅師宮(じゅうぜんしぐう)と称された(日吉七社の一社)

当社にとって大宝神社(だいほうじんじゃ)は本社に当り祭神素戔嗚尊(すさのおのみこと)十禅師宮(じゅうぜんしぐう)の背の君である。

十禅師宮(じゅうぜんしぐう)は、疫病消除、往来安泰、良縁招福の氏神として累世変遷にも里人との機縁絶えることなしとの伝承がある。

明治初期法令に依って現在の樹下神社(じゅげじんじゃ)と考称される。

  当社の小社(五神)

   天満宮(てんまんぐう)

   石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)

   愛宕神社(あたごじんじゃ)

昭和五十六年五月吉辰

樹下神社(じゅげじんじゃ)

境内掲示より



石造常夜灯

この常夜灯は、銘によると天保二年(1831)、伊勢屋佐七が建立したことがわかる。

また、基礎の台座には明治二年、六年、二十三年、昭和十年の銘があり、補修を受けた経過が窺われる。

塔は、現在、屋根石、火袋、軸石、基礎石から成り、石積壇を含めると4.14mに達する規模であるが、当初の石は「宿内安全」、「天下泰平」の文字を刻んだ三段目以上であると推定される。

この塔は、もともと神社北側に西流する吉川の左岸にあって、川を利用した船便や、土橋を渡り、中仙道を往来する人びとの安全を祈願して建立されたが、河川の氾濫などにより崩壊した結果、当神社境内に移築されたと思われる。

塔には太神宮、金毘羅大権現、瑜伽大権現の神名、基礎には願主佐七の商人仲間が分散していた武州(東京)、三州(愛知)、濃州(岐阜)などの九つの旧国名、守山宿内で塔建立に協力した「堅田屋喜一郎」をはじめ十四人の名前が見られる。

願主「佐七」は、守山宿を拠点にしていた旅商人であったと推定され、今宿町超勝寺の檀家であったことが記録に残っている。

中山道や守山宿に関係する資料が散逸する中、当時の宿場や信仰、付近の様子を知る上で大変貴重であることから平成十一年、守山市指定有形文化財に指定された。

市制三十周年を記念し、今宿町のまちつくりの一貫として、この石碑を設置し、将来に伝えるものである。

平成十二年七月吉日

今宿自治会』

※ 境内掲示より



安産石の由来

菅原道真公大宰府に左遷され其の一族の全てが連座された延喜元年(902)の秋、仲仙道守山宿、通称どばし河の叢の平石に伏して苦しむ一女あり、里人達これを懇に介抱する

病躯の女人曰く、私は左記の右大臣道真の娘である

今度の連座に依って流配の地に赴く途中であるが之の身、俄かに産気を催し歩行自由ならづとても身二つは覚末なしとて、尋常ならざる称子村人看護に一心なれど、其の効なし

女人苦渋に耐えつつも宣う此の地と宿縁村人の親切に報いるすべがないのが悲しいと……。

せめてこの身に換へて之の地の女人のお産安からしめ賜へと之の平石に祈祷されつつ入滅されたと謂ふ

村人悲しみて丁寧に葬り、盛土をなし、祠を建て女天神塚として公称し祭祀された

現今宿町一番守山小学校運動場の一隅

其の後、平石がご神体となり産婦の信仰篤く石に手を融れば難産なかりとの伝説がのこっている

辞世は流れいくつもの世が移り、当寺の女天神塚の名残は皆無であるが、之の平石のみが樹下神社(じゅげじんじゃ)の一隅に安置され菅公縁枯の安産石として護持されているものである。

今宿の今昔・栗太郎誌に依る

樹下神社(じゅげじんじゃ)

※ 境内掲示より


鳥居前は中仙道になっているようですが、少しばかり北側にも新道があるようですがバイパスのようなものであったのでしょうか。

境内には種々雑多な歴史の有るものが存在しています。

人の往来がかなりのものであったことが伺われます。

それにしても野洲川に沿って上流部に向かう東海道と琵琶湖沿いに向かう中山道の往来の差はあったのでしょうか。

どちらも険しい山が存在しています。

大津周辺から彦根や長浜への船便ってなかったのでしょうか。

野洲川を渡るのは大変だったのではないかと思うのですが、昔の人は凄いとしか言い表しようがありません。


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