(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2016年04月05日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


xHOTZONE Go to xDataBase viewhalloo Tips p2pzigzag p2pzigzag hrkz p2pzigzag Go to Home evtcal reporter2

蒲生郡日野町十禅師 比都佐神社


滋賀県蒲生郡日野町十禅師に鎮座する「比都佐神社(ひづさじんじゃ)比都佐神社(ひつさじんじゃ)〕」です。

車が先々週にオーバーヒートしてしまい、エンジンが本調子でないのでグリーンロードではなく、旧国道307号線を使って見ることにしたのですが、少しばかり道に迷ってしまい、目的地の彦根とは異なった守山方向へ進んでいることに気が付いてぐるっと廻ってやっとのことでこの前を通りかかりました。

鳥居が見えたので国道からそれたのですが、石標に「<比都佐神社(ひづさじんじゃ)御旅所(おたびしょ)」の文字が読み取れたので後ほど見に行くことにします。


比都佐神社(ひづさじんじゃ)

弥生時代すでに開けていたこの辺りは古くから「ひさ野」と呼ばれており、幾つかの村の惣社として久野郷を守護する久野大明神がこの地に祀られた。

平安時代大津坂本の日吉山王社の荘園となり、山王七社の十禅師宮が合祀されその名が村の名として残った。

境内の宝篋印塔(ほうきょういんとう)は鎌倉時代嘉元二年(1304)の造立で日本有数の優れた石造物として重要文化財に指定されており、春の例祭に奉納し渡御する「ほいのぼり」も大変めずらしい。

日野観光協会・必佐公民館』

境内掲示より



『重要文化財

比都佐神社(ひつさじんじゃ)宝篋印塔(ほうきょういんとう)

所在地 蒲生郡日野町十禅師

昭和五年五月二十三日指定

石造宝篋印塔(ほうきょういんとう)

鎌倉時代(嘉元二年(1304))

この塔は、刻銘によって、嘉元二年(1304)に造立したことが明らかである。

基礎は、各面とも輪郭を巻き、格狭間を入れ、内側は、東・南二面は孔雀一対、北面は開花蓮、西面は素面となっている。

塔身は、各面とも蓮華座上に、月輪を彫り四仏の種子を配している。

笠は、軒付より下に二段、上に七段刻み、隅飾りは三弧、輪郭を巻き、その内側は素面である。

笠下端の軒裏には、塔身の周囲に溝を彫り丁寧な加工が施してある。

基礎と塔身には左記の刻銘があり、造立の内容も知ることができる。

この塔は、相輪が欠失しているのは惜しまれるが、造立年次が明らかで、規模が大きく、細部意匠の優秀な遺品として貴重である。

平成九年三月

滋賀県教育委員会』

※ 境内掲示より


宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種である。(Wikipedia)』って、仏教の関係で『銭弘俶塔に宝篋印陀羅尼(宝篋印心咒経(ほうきょういんしんじゅきょう))を納めたことによる。ただし、石造宝篋印塔(ほうきょういんとう)で実際に塔内から陀羅尼が発見された例はない。本来的には、基礎に宝篋印心咒経の文字を刻む。(Wikipedia)』じゃなかったかと思うのですが、この説明を読むと日本人特有のご都合主義で修飾されたものであったのでしょうか。

毎度のことながら、歴史学者の言う事は信じられません。

為政者の都合の良いことを論文として発表しているだけじゃないかと思ってしまいます。


関連情報レポートリンク

【滋賀県蒲生郡 神社一覧】