(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2016年02月27日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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甲賀市甲賀町高野 浄土宗 福生寺


滋賀県甲賀市甲賀町高野に鎮座する「浄土宗 福生寺(ふくしょうじ)」です。

伊賀へ越してきて初めて彦根に墓参りに利用した道ですが、あまり記憶に残っていません。

隣接して鎮座する高野天満宮(たかのてんまんぐう)とあわせるとかなり広い土地というか空間を共有しています。

意識的に記憶に残さないといけないということを感じます。


福生寺(ふくしょうじ)

本尊は阿弥陀仏如来像(大本山黒谷金戒光明寺(こうみょうじ)から下附)

高野には、浄土宗 後生寺(ごしょうじ)(開基不詳・千六百十六年再興、所在地山手地区)、西福寺(さいふくじ)(開基不詳・千六百二十四年再建、所在地里地区)、天台宗 松林寺(しょうりんじ)(現福生寺先)がありましたが、明治九年(1876)後生寺(ごしょうじ)西福寺(さいふくじ)を合併し、松林寺(しょうりんじ)跡(現在の場所)に移転され西福寺(さいふくじ)の「福」と後生寺(ごしょうじ)の「生」をとり福生寺(ふくしょうじ)と名付けられました。

松林寺(しょうりんじ)は元禄二年(1689)に僧円海が中興、高野天満宮(たかのてんまんぐう)の別当寺でありました。

その後、無縁無壇となり、神仏分離と廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により明治九年、後生寺(ごしょうじ)西福寺(さいふくじ)合併の時に甲南町池田天台宗 文殊院(もんじゅいん)に合併されました。

福生寺(ふくしょうじ)は明治十五年に本堂が完成。

入佛遷座(にゅうぶつせんざ)落慶法要(らっけいほうよう)を行い現在に至っています。

観音堂(かんのんどう)

・木造如意輪観世音菩薩坐像(市指定文化財)像高十九センチ、平安後期、藤原時代(千六十から千百八十四年)の作と推定、後生寺(ごしょうじ)より移設されたものです。

・木造地蔵菩薩立像(市指定文化財)像高八十五.四センチ、平安末期の作と推定。

・他、天正年間(1573 - 91)以前高野城主であった「高野城之助」の位牌があり、墓石も本堂裏の石塔墓地にあります。(城跡は茨谷地先)

大原自治振興会』

境内掲示より


神社と寺院をあわせるとかなりの広い境内地と空間があります。

空が広いというか何とも言えない広がりは私には心地良いものです。

神社の境内の巨樹による社叢(しゃそう)も何とも言えない静かな雰囲気を醸し出して素晴らしい清涼感を伴う事が少なくないのですが、こういう広くて開けっ放してきな空間にも圧倒されます。

神社の宗教的な位置付けが理解するのに若干の難しさがあるのですが、寺院の方は解りやすいのでしょうが、それぞれの宗派によっての違いを檀家でも崇敬者でもなければ理解しずらいことも確かなようです。

大阪にいた時の閉門している寺院よりは入って手を合わせやすいという点は大きく異なります。


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