(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2015年10月20日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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湖南市菩提寺 和田神社


滋賀県湖南市菩提寺に鎮座する「和田神社(わだじんじゃ)」です。

地形図に神社マークが有り、近隣に和田神社(わだじんじゃ)の駐車場という表示があったので車を停めたのですが、結構な距離がありました。

円満山(えんまんざん)大般若台院(だいはんやだいいん)少菩提寺(しょうぼだいじ)」がありました。

良く解らずにウロウロと歩き回ってようやく辿り着くことが出来ました。


和田神社(わだじんじゃ)社記

御祭神

 素戔鳥命(すさのおのみこと)(又の御名 牛頭天王(ごずてんのう))

創建

 奈良時代(ならじだい) 天平(てんぴょう)辛未(かのとひつじ) 年(731)

御祭礼

 毎年 五月一日

摂社

 愛宕神社(あたごじんじゃ)阿多古社(あたごしゃ)) 御祭礼 毎年七月二十三日

 御祭神 軻遇突知神(かぐつちのかみ)(又の御名 火産霊神(ほむすびのかみ)

由緒

奈良時代 第四十五代聖武天皇(しょうむてんのう)御叡願(ごえいがん)を受けた良辨僧正が歴代天皇の国家鎮護(こっかちんご)叡願所(えいがんしょ)として当地に「円満山(えんまんざん)大般若台院(だいはんやだいいん)少菩提寺(しょうぼだいじ)」を建立(こんりゅう)開基(かいき)され、また、一山(いちざん)守護神(しゅごしん)として三座(さんざ)勧請(かんじょう)鎮座(ちんざ)されました。

その一座が「祇園天王社(ぎおんてんのうしゃ)」で、当社の始まりです。

その後、戦国時代元亀(げんき)元年(1570)少菩提寺(しょうぼだいじ)消失(しょうしつ)廃寺(はいじ)までの八百四十年余りの間、神仕(かみつかさ)(司)、掌仕(やしろつかさ)供侶(ともがら)属侍(じざむらい)といった宮仕(みやづか)えが常に奉仕されていて、祇園祭祀(ぎおんまつり)が執り行われていました。

特に、第六十二代村上天皇より天暦(てんれき)丁未(ひのとひつじ)年(947)九月二十二日に社殿丁未(ひのとひつじ)大修造丁未(ひのとひつじ)太政官符(だじょうかんふ)御下賜(ごかちょう)されたことにより当社の神威(しんい)はますます盛んとなりました。

当社は、少菩提寺(しょうぼだいじ)伽藍(がらん)とともに幾度となく兵火に遭いましたが、その都度再興されて来ました。

また、社域は江戸時代中頃明和四年(1767)の頃に西の城谷氏城(しろたにしじょう)跡の大堀切(おおほりきり)の南端にあたるこの地を浄めて遷座(せんざ)し、今日に至っています。

明治時代に神仏分離に伴う神社台帳を作成する際に、「和田神社(わだじんじゃ)」と改められました。

この名前の由来は、その昔消失した当社が再興されるのに尽力(じんりょく)された「和田の(おきな)」にちなみ数百年の間、「和田の明神社(みょうじんしゃ)」とも呼ばれ親しまれて来たことからです。

本社殿は、明治三十四年九月十日夜のお百灯(ひゃくとう)からの失火により消失し、翌明治三十五年に氏子の懸命の尽力(じんりょく)と浄財寄進によって本社殿、御門(ごもん)透塀(すかしべい)が宮大工伊藤平左衛門(名古屋市松重町)の手により再建されています。

以上』

境内掲示より



和田明神(わだみょうじん)と神亀の縁由

少菩提寺(しょうぼだいじ)縁記>には、奈良の都の時代霊亀元年(715)聖者金粛大菩薩(良辨僧正)が金勝山の岩窟にこもって修業をしておられると、北方の山上より輝きを発している光明の出現に感応を受けられた。

岩窟を出て、光明に導かれるまま山を下って甲賀大川(野洲川)の南岸に臨み賜うと、一人の翁(素戔嗚命)が忽然と現れられて、「師、光明の奇端を知ろうとなさるならば、我その所に案内しましょう」と申されて、師とともに大川をお渡りになって北岸の大岩(亀ヶ淵の亀岩)の所に誘導なされた。

この亀ヶ淵の主であって吉祥を招くという不思議な霊力を発揮する神亀であったことになる。

神亀は、霊亀、又、長寿の亀ともいう。

篤信の人、ここに神亀の姿を石に刻んで奉納された。

人々は、須く信仰心を篤く持って、奇しき瑞祥にあやかるべきである。

識 鈴木 儀平』

境内掲示より


タイムマシンが有れば史跡の隆盛な時代を垣間見たいものです。


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