
滋賀県甲賀市水口町三大寺に鎮座する「日吉神社」です。
伊賀から甲賀を経て守山への道路沿いに神社の案内看板が散見されていたので、訪問して見るべしと立ち寄ってみました。
山麓の段々畑のど真ん中にポツリと鳥居が立っていました。
旧道はこちらであった証拠になるのでしょうか。

『日吉神社
当社の祭神は大山咋神にて、創建は白鳳年間と伝う、数度の改築「棟札」有り、昔古は三大神社と奉称せらる。
平安朝の初め比叡山延暦寺の庄地となり、社殿にも日吉山山王神を奉祀し「三大神大明神」と称し、三大寺郷「六ヶ村」の総社たり。
また、杣三社「矢川神社、日吉神社、新宮神社」の一社にして郡内の崇敬篤く、武将の社領寄進あり、慶長四年「日吉神社」と改称せられ現在に至る。
境内にある欅の大木は、周囲五メートル、樹齢六百年余を経て御神木として仰がる。
両社殿東西欄間に四体の異なった御猿の彫刻あり社宝としている。
昨今は飯道山登山口にあり、安全祈願のため当社に参拝後登山せられる。
水口町』
境内掲示より

『社歴
水口町三大寺鎮座
日吉神社
本社祭神
大山祇神
配神
大山咋神
境内社
志那神社 志那戸辺神
玉御前神社 玉依比賣命

当社の創建は白鳳年間紀元六百八十年頃と推察せられ
嘉吉元年、寛永十八年、天和三年、文政十一年四月五日再建(棟札)せられ現在に至る。
往古は三社鎮座し給い三大神社と奉称し邑名も三大神郷とよべり。
当時野洲郡御上神社と立会祭礼を行ひしが、元正天皇養老元年御文霊御上神社境外末社に勧請せられ止む。
奈良朝の時、甲賀の三大寺院の建立ありて不知間に三大寺村と転訛せり。
平安朝の始、比叡山延暦寺の創建に当り、資材を此の地方に採り池原杣の庄として延暦寺の庄地となり、守護神たる日吉山王神を奉祀し山王権現三大寺大明神と奉称し三大寺郷(三大寺、牛飼、杣中、山上、高山、岩坂)の総社として及杣三社(日吉神社、矢川神社、新宮神社)の一社として郡内の崇敬厚く神威赫々たり。

当時杣庄二十二ヵ村氏子は杣三社合祭を行ひしが明治七年に至りて止む。
室町時代武将の崇敬厚く社領の寄進あり元禄十年鳥山藩主大久保伊豆守より、石高十石七斗二升の社領を供進せられしも、明治四年奉還し、明治五年宮津県より年々祭祀料修復料を奉献せられ後、明治十三年神社に虎滅録神職に配当録を下賜せられ止む。
慶應四年二月十五日大山祇神を改め奉祀し、日吉神社と改称せられ大正十四年村社に指定せられ昭和六年五月二日郷社に加列氏子六ヵ村の総社として現在に至る。』
境内掲示より

周辺の雰囲気と神社の鎮座地の雰囲気が全くイメージとは重なりませんでした。
それにしても、神が鎮座するには素晴らしい雰囲気であると感じさせる境内地は素晴らしいものです。
神社の杜の社叢ここまでの大樹や巨樹が林立していることは想像できませんでした。
また訪問して参拝したいと考えています。