(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2015年04月08日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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野洲市永原 史跡 永原御殿跡


滋賀県野洲市永原にある「史跡 永原御殿(ながはらごてん)跡」です。

同じく永原に鎮座する土安神社(てやすじんじゃ)の道標で気がついて道標の方向に進んで探したのですが、てんで方向違いでした。

見回してみると何やら広くなっているので、そちらに進んでみると説明板のような物が見えたので車を停めて進んでみると「永原御殿(ながはらごてん)跡」と書いていました。


永原御殿(ながはらごてん)

永原御殿(ながはらごてん)は、徳川将軍が上洛(じょうらく)するに際に使った休憩、宿泊用の城館です。

御茶屋御殿(おちゃやごてん)とも言います。

この地は、天正十四年(1586)に豊臣秀吉が徳川家康に与えた在京賄料(ざいきょうまかないりょう)に由来します。

記録によると、慶長六年(1601)十月の家康下向時を初見とし、慶長十九年(1614)の大坂冬の陣や翌年の夏の陣、家光の将軍下向時に伴う上洛時などに、家康、秀忠、家光らが駐留しました。

寛永十一年(1634)、家光の御代替(おだいがわり)の上洛に伴い、それまでの御殿の約六倍の規模に大改修します。

膳所(ぜぜ)藩主膳菅沼所(すがぬま)定芳(さだよし)芦浦(あしうら)観音寺(かんのんじ)普請奉行(ふしんぶぎょう)として、大工頭(だいくがしら)中井家の作事(さくじ)によって建物の新造と改修をおこない、併せて三の丸を拡張したうえで米蔵や馬屋を新設しました。

しかし、御殿の使用はこれが最後となりました。

現在も本丸跡の土塁や石垣、二の丸跡の掘削などが随所にのこり、当時の面影をうかがい知ることができます。

野洲市北の浄専寺(じょうせんじ)には、御殿からの移築と伝える表門(おもてもん)もあります。

平成二十五年三月 滋賀県教育委員会』

※ 掲示説明板



永原御殿(ながはらごてん)

江戸時代初期、将軍上洛時などに使用する「御殿」あるいは「御茶屋御殿(おちゃやごてん)」と呼ばれる施設が幕府により整備されました。

永原御殿(ながはらごてん)は、幕府代官の支配地が多い永原に築かれ、徳川家康・秀忠・家光の三代にわたり利用されました。

御殿は、寛永十一年(1634)の将軍上洛時に大整備が行われ、本丸・二の丸・三の丸からなり、多くの建物を備え、堀や土塁をめぐらした本格的な城郭でした。

その後、将軍上洛が停止されると、貞享二年(1685)には御殿も廃止され、取り壊されました。

現在は竹やぶになって建物は残っていませんが、堀や土塁、石垣などがその面影をとどめています。

銅鐸博物館(野洲市歴史民俗博物館)には、永原御殿(ながはらごてん)の復元模型が展示(企画展等開催中は展示替え)されていて、当時の姿を知ることが出来ます。

2011年12月 野洲市観光協会』


この広い場所は、昔の堀跡のようです。