(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2015年03月13日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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湖南市正福寺 川田神社


滋賀県湖南市正福寺に鎮座する「川田神社(かわたじんじゃ)」です。

田畑の中にこんもりと社叢(しゃそう)が見えていたのですが、どうして辿り着けばよいのか迷っていました。

前回通りかかった時に、行けそうな道を確認していたので、案外スムースに辿り着いて参拝できました。

近くの田んぼの中に御旅所がありましたが、滋賀県や三重県のは本社と距離が近いように思います。


川田大明神(かわただいみょうじん)

夫れ川田大明神社は近淡海の劦、甲賀の懸、田雲の荘(一つには緋雲に作る)夏見の郷、正福寺の里の御神座にて、抑の縁由の次第は祭る所は二座にして天湯川桁命、天川田奈神なり

人皇四十五代聖武天皇の馭宇、天平五癸酉の戴、百済良弁法華 大乗峰山 正福寺の開基せらるるの砌、勧請せらるるの所にて貞観元年正月二十七日川田神従五位下を授けらるる。

同五年(癸未)十二月、近江國阿度河川田神従五位上を授けらる。

則ち阿刀宿根、饒速日の孫、饒田命の後也。

同じく十年戌子八月十日宮符に依りて宣す。

又、文治元年(乙巳)十二月社殿は之を修造す。

祭儀は毎年卯月初めの申の日、之を奉行す。

正福寺村、菩提寺村の土産の神にして倶に祭式に預る。

棟札に銘在りて曰く、正嘉二戌子年四月十三日、正福寺圓乗院良春律師と菩提寺最勝院光岳律師の公文所両寺の二人謹んで言く、川田の社は祭る所の神の位いは延喜式の神名帳に録せらる甲賀郡八座の一なる川田神社(かわたじんじゃ)と同じき神躰なり。

貴賤を論ぜず抽すべし、信に祭儀を念ずれば霊験岐度疑いなき者なり。

後の者の為に之を記録し畢ぬ。

文明四壬辰の年夏

供侶 大乗山位 夏見寂意

下司 青木治部尉 頼政』



『県指定文化財

木造神像 川田神社

昭和四十七年四月一日指定

川田神社(旧村社)の祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこと)である

由緒は「延喜式神名帳」に「甲賀八座の内、川田神社二座明神に列し四度の官幣に預る」とある。

また、「三代実録」に「貞観元年(859)正月二十七日甲申奉授近江国従五位下川田神従五位上」とある。

したがって貞観元年正月に当社が建立されたことは明らかである。

神像は、男神像一体、女神像三体、他一体である。

いずれも彩色されていたらしいが、現在は全て剥落していてその名残が少しあるだけである。

像はすべて桧材の一木彫りで、男像は冠をいただき像高69㎝、女像は50cm、47㎝、39㎝で、他の一体は火にあい炭化が激しい。

神像を安置する社殿(町指定文化財)は、流れ造りで素屋にはいっている。

上棟札に「慶長五年(1600)庚子四月十八日上棟」と記されている。

本殿正面350㎝、奥行483㎝、高さ226㎝である。

境内には、南北朝時代の石造宝塔(町指定文化財)もある。

平成二年十一月

甲西町教育委員会』


ところどころで「神像」という表現を見かけるのですが、実際に目にしたことは無いのでいつの日にか拝見してみたいものです。

旧道に沿っていくつかの神社が鎮座していますが、殆ど回りましたが、レポートはこれから作成します。

野洲川を挟んで国道1号線とバイパスが走っているのですが、この周辺の田んぼや畑もなくなるのでしょうか。

人口減少のスピードは加速していきそうですが、田畑も利用されなくなるのでしょうか。

予測が難しくなってきました。