(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2015年03月08日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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野洲市中北 史跡 妓王屋敷跡


滋賀県野洲市中北にある「史跡 妓王屋敷跡(ぎおうやしきあと)」です。

歴史があまり好みではなかったので知らない事ばかりなのですが野洲市大篠原に「平家終焉の地(宗盛首洗池・蛙入らずの池)」があるらしいので探して訪問してみます。

滋賀県は往古から交通の要衝であったことは間違いないようですし、かなり古くから人が住み着いたのも間違いなさそうですし、琵琶湖と言う巨大な淡水湖は人間にとって最大の資源であることは間違いないようです。


妓王屋敷跡(ぎおうやしきあと)

妓王(ぎおう)妓女(ぎじょ)の姉妹は今から約八百年前に橘次郎持長の娘としてこの地に生れましたが、保元の乱で父を亡くしたため母とともに京都に出て白拍子になり、平清盛公に仕え、寵愛(ちょうあい)を受けました。

ある時、妓王(ぎおう)は、清盛公から、「何か望むものはないか」と聞かれたので「故郷の人々が水不足で苦しんでおり、ぜひふるさとに水路を引いて下さい」とお願いしたところ、当時経済政策に力を入れていた点とも合致し、早速、清盛は、野洲川から水路を引かせました。

このおかげで付近一帯(約三千反)の水不足は一気に解消し近江でも有数の米どころとなったのです。

ときに妓王(ぎおう)二十一才、妓女(ぎじょ)十九才でありました。

この水路は妓王井川と呼ばれ今なお水田をうるおしています。

またこの敷地内の日には、この妓王物語が刻み込まれており、近くには村人が感謝して妓王寺(ぎおうじ)が建てられています。

平成二十六年三月

野洲市観光物産協会


この場所にたどりついたのも妓王寺(ぎおうじ)を探している途中に看板に気がついて訪問しました。

それにしても史実として記録されていることは間違いないようですが、私としては自らの都合の悪いことは記録しないと思っていますし、相手方の良い点なども記録しないことは間違いないと思います。

更に言えば事実は隠されることの方が多いのではないでしょうか。

私は天皇家以外の古墳の多さに日本史の古墳時代以前の歴史は嘘だらけだと感じて仕方がないのです。