(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2014年10月02日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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犬上郡多賀町多賀 多賀大社


滋賀県犬上郡多賀町多賀に鎮座する「多賀大社(たがたいしゃ)公式HP〕」です。

個人的には子どもの頃から母方の祖父が祭りで馬に乗った写真を見せられて、父方の親戚は酒屋を営んでいます。

そもそも父方の祖父母は多賀大社(たがたいしゃ)の周辺地域で育っていたようです。

名神高速の多賀のサービスエリア周辺縁の深い場所であります。


多賀大社(たがたいしゃ)の概略

ご祭神

  伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)

  伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)

この男女二柱の大神は、はじめて夫婦の道をおこされ、わが国土と万物の神々と、その主宰神としての天照大神をお生みになられましたので昔から、わが日本国の祖神さまと仰がれ、奈良時代の初めにできた「古事記」には、すでに淡海の多賀にご鎮座という記事が見えています。

そこで、早くより朝野の尊崇あつく、延命長寿、縁結び、厄除の霊神と仰がれ、元正天王や俊乗坊重源、太閤秀吉の母大政所の延命祈願、武田靖信(信玄)の厄除祈願など数々のご社伝が伝えられております。

四月二十二日の多賀まつり(古例大祭)の騎馬四十頭に及ぶご神幸は天下に名高く、他にも節分祭、お田植祭、万灯祭、九月古例祭、七五三なども大変なにぎわい見せます。

室町時代以来の由緒をもつ全国各地の多賀講はあまりにも有名ですが、更に近年は崇敬会に加入して神縁を結ばれる人々も増加しています。

ご本社の左奥にある参集殿では、これらの人々のお食事、あるいは結婚式の披露宴なども行われています。

又、春の枝垂れ桜、秋の紅葉、国の名勝である奥書院庭園も見事で、年間と通じ約百七十万人の参拝者を数えております。』



町指定文化財

多賀大社(たがたいしゃ)の「そり橋」

太閤秀吉が当社に寄せた信仰から「太閤橋」とも読んでいるが、実際は「太鼓橋」である。

築造は、江戸初期宝永十五年に徳川幕府の助成もあつて、大僧正慈性によつて本殿以下諸堂社の造営が行われた。

「寛永年間多賀大社(たがたいしゃ)絵図并指地図」に「そり橋」も記載されていることから、この大造営の際に築造されたものである。

この「そり橋」は神橋であつて、例祭にはお神輿が渡られる。昭和7年の造営には、「そり橋」の附近が改修され現在に至つている。お多賀さんの表玄関にふさわしい重厚な橋である。

平成3年11月吉日

多賀町教育委員会』


子どもの頃によく聞かされたのが、

お伊勢参らば お多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる

お伊勢七たび 熊野へ三度 お多賀様へは月詣り

と、 古くから謡われている。

古事記に「伊邪那岐大神は淡海(近江)の多賀に坐ます」と記されている。

社伝によると神代の昔、伊邪那岐大神は多賀大社の東方4キロの杉坂山(山宮)に老翁の姿で現れ、麓の栗栖の宮(調宮)にしばらくお休みの後多賀の地にお鎮まりになったとつたえている。』

一度で紹介できる情報量ではありません。

別に紹介することにします。


関連情報レポートリンク

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