(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2020年05月24日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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伊賀市予野 薬師堂〔雲桜山菩提樹院薬師寺〕


三重県伊賀市予野にある「薬師堂(やくしどう)雲桜山(うんおうざん)菩提樹院(ぼだいじゅいん)薬師寺(やくしじ)〕」です。

立正寺(りっしょうじ)を訪問参拝したときに、池の傍に『蘭若池【にごりいけ】 民話伝説と吉田兼好ゆかりの池』と案内板がありました。

案内板がなければなんてことのない溜池でしかありませんが、池横の坂を上ると薬師堂(やくしどう)がありました。


薬師堂(やくしどう)雲桜山(うんおうざん)菩提樹院(ぼだいじゅいん)薬師寺(やくしじ)〕由来

嘉吉元年(1441)の「興福寺(こうふくじ)官務牒疏(かんむちょうそ)」の中に「菩提樹院(ぼだいじゅいん)伊賀郡花垣郷本尊薬師弘法大師開基」とあるが今はただ往古の由緒を知るにすぎず、旧跡には「文明八年(1476)正月初十日宋久禅門」と刻銘のある石造五輪塔の残欠が一基、世の無常迅速を物語っている。

堂の北側台地は中世墓とみられ信楽焼の蔵骨器(壷)が発見されている。(市教委所蔵)

菩提樹院(ぼだいじゅいん)は明治初年(1868)廃寺となる。

湯屋谷の蓮徳寺(れんとくじ)薬師如来(やくしにょらい)日光(にっこう)月光(げっこう)菩薩(ぼさつ)(国指定重要文化財)は菩提樹院(ぼだいじゅいん)の旧蔵との説もある。

その後も薬師堂(やくしどう)として里人によって守られ、明治後期には庫俚(くり)(現在の前出公民館)で尼僧が住、里の子女に裁縫を教えた。

昭和七年(1932)には一部の古材を使って改築がなされ、折々の営繕を加えつつ現在に至っている。

北から参道入口に蘭若池(らんにゃいけ)がある。

里の娘、おさき小町の伝説が残る。(森中二郎氏が「上野に伝わる民話。こじょろうぎつね」にお薬師(やくし)さまのにごり池」と題して記述している)

この蘭若池(らんにゃいけ)(にごり池)は用水池として穿(うが)って、一種の銘木を得た。

この木片を火に焼くと良い香りがして数ヶ月を経てもなお消えない。

いずれも蘭若香(らんにゃこう)のようであったと云う。

池の畔には古い藤があった。

花は大房で一メートル余りもあったと云う。

蘭若(らんにゃ)藤紫(ふじむらさき)」といわれているもこの藤すなわち蘭若(らんにゃ)の銘木とするのは誤りである。

徒然草(つれづれぐさ/rt>)の著者、吉田兼好がこの藤を吟じている。

 咲きにほふ 藤のうらはのうらとけて かけものとけき春の池水

薬師堂の裏には、重税から農民を救おうとして刑死した山渓寺(さんけいじ)住職敬叟和尚(けいそうおしょう)(1792)の胴塚が祀られている。

いずれにせよ確たる史実を知る由もないが古文書等から室町時代には開かれていたようであり、相当規模の寺院であったことが(うかが)われる。

五百五十年余りを経た今日(こんにち)も前出小場、上出小場の人々の信仰を集め、毎年一月十二日と九月八日には相集まって護摩供養が営まれ、集落の安穏を祈り続けている。

平成十年(1998)森中喬章記す』

※ 境内掲示より


来てよかったです。