(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2020年03月13日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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伊賀市上野農人町 真言宗豊山派 遍光山 愛染院


三重県伊賀市上野農人町にある「真言宗豊山派 遍光山 愛染院(あいぜんいん)」です。

伊賀の霊場巡りも残り少なくなってきました。

この場所に寺院があることは全く気付いていませんでした。

何とも不思議なのですが、先の交差点が鬱陶しいのでそちらに気がとられていたということでしょうか。


愛染院(あいぜんいん)の由来

一. 真言宗豊山派

二. 本尊 金剛愛染明王(こんごうあいぜんみょうおう)

ご本尊愛染明王(あいぜんみょうおう)は、弘法大師と伝えられ、醍醐寺仕主、憲法僧正が、後醍醐天皇の病気平穏を御修法されたところ、ただちに、御願成就し、奇端の霊光を放たれたという。

この御尊像を、鏡覚え阿闍梨が、元歴年間に、この地に安置し、寺を建立、遍光山願成寺(がんじょうじ)と称された。

天正九年の伊賀乱の兵火にかかり、御本尊その他わづかを残すのみで、灰になった。

その後、法印実恵が寛文年間に再興、先師、岡森有章が再中興され、更に、昭和六十年(1985)十月新築完成(木造瓦葺)されたものである。

一. 境内には、子安弘法大師像(安産守護)

        行者堂(五穀豊穣)

        地蔵堂などがある。

又一隅には

故郷塚

俳聖松尾芭蕉翁家の菩提寺であるため、伊賀の門人達が翁の遺徳を偲び、遺髪を愛染院に埋め一基の墓を建立し、故郷塚と唱えたものである。

芭蕉は正保元年(1644)伊賀上野赤坂町に誕生

   元禄七年(1694)大阪南御堂花屋で死去

(五十一歳)

以上

上野市農人町354

愛染院(あいぜんいん)

※ 境内掲示より



愛染さんのご利益

愛染さん(愛染明王)は、衆生の苦悩をみそなわして、全身全霊を尽くして願いを叶えようとされる。

最上・最尊の明王様です。

私達には、天然の災害や戦火・火災・病など種々の災難を逃れたい(息災(そくさい))。物事の繁栄・生長をはかりたい(増益(ぞうやく))、怨敵などを押さえ鎮めたい(降伏(こうふく))、異性と円やかに和合したい(敬愛(けいあいく))、天の恵みを得たい(鉤召(こうしょう))という五つの願いがあります。

それを叶えようというのが愛染さんです。

今も多数の方々が、厄除開運を求め、心身健全、息災延命、旅行無事(愛染さんのお守り身につけ)順風万帆、仕事順調、商売繁盛、心願成就、怨敵退散を願う中年の方々。

良縁成就、夫婦和合、縁結び成就を、若い方々は、真剣にお参りして下さい。

愛染さんは、老若男女、あらゆる年齢層にいろいろのご利益を求め信仰されています。』

※ 境内掲示より



愛染院(あいぜんいん)故郷塚

「伊賀国寺院明細牒」によれば、当寺は、往古上野山平楽寺の子院東ノ坊といい、愛染明王を本尊とすることから俗に愛染院と称されたが、慶長十六年春に始まる城下町建設のさい現在の地に寺域を拝領して、遍光山願成寺(がんじょうじ)と改称した。

しかるに、その後も、往古より親しまれてきた愛染院の名は、普ねく三界に及び、今なお愛染院と称されるに至った。

また、当時はわが国の詩歌史上、俳諧という庶民詩の一大金字塔を樹立した国民的大詩人松尾芭蕉翁の生家松雄氏の菩提所である。

芭蕉翁は、正保元年この寺のすぐ西にあたる赤坂の街で誕生し、二十九歳までこの地で暮らした。

三十歳のとき決する処ありて江戸に下り、俳諧の宗匠となり、遂に蕉風体を完成させたが、元禄七年十月十二日西国周遊の途中、大阪の地で病没した。

芭蕉翁の遺骸は遺言により、膳所の義仲寺葬られたが訃報をうけて、翁の臨滅に馳せ参じた伊賀の門人貝増卓袋、服部土芳は生地に遺髪を奉じて帰り、先塋の傍らに墳を築いて故郷塚ととなえた。

塚の碑は服部嵐雪の筆になるもので

元禄七甲戌年

芭蕉桃青法師

十月十二日

と刻まれている。

翁の没後、伊賀の門人たちは、「しぐれ忌」と称して翁の忌日を追善し、その遺風は連綿と今に伝えられている。

昭和六十一年十月

上野観光協会』

※ 境内掲示より


文学にはあまり興味がないので、拝観料を払ってまでというのが私の弱点でしょうか。


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