(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2020年02月01日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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伊賀市久米町 山渓地蔵尊


三重県伊賀市久米町にある「山渓地蔵尊(さんけいじぞうそん)」です。

何でしょうか。

「さんけいさん 頭の地蔵さま」という看板がありました。

興味深くもあり駐車余地が少ないうえに車が頻繁に通りますがなんとか訪問参拝することができました。


山渓地蔵尊(さんけいじぞうそん)の由来

「山渓さん」の名で今なお民衆から敬慕されている敬叟玄粛和尚は、寛延三年(1750)、北山(青山町)の農家に生まれ、市兵衛と名乗った。

市兵衛は、上野の山渓寺(さんけいじ)の天嶺和尚に弟子入りし、その後、津の龍津寺径山和尚の許で修業し、さらに東福寺、妙心寺で禅の奥義を究めた。

そして天明三年(1783)市兵衛は伊賀に帰り、山渓寺(さんけいじ)十世の住職敬叟玄粛和尚となった。

その頃伊賀では飢饉が続き、農民は飢えと重税に苦しんでいた。

下友生の粕屋忠次郎は、農民を救おうと藩に免租の嘆願を再三していたが聞き入れられず、幕府へ直接上訴しようと、その文面の作成を敬叟和尚に依頼した。

和尚はこれを引き受け書状をしたためた。

事件が発覚し、和尚もこれに連座したとして処刑されることになった。

刑場への道に立ち塞がり、助命を請う弟子や民衆を制して、和尚は弟子には「天命は避くべからず、国法は柱けるべからず、唯我が代わりに将来仏門の光に尽くされよ。」と民衆には「今刑刃に倒れても、我霊は不滅なり、今日より後、頭上の煩いあれば必ず救わん。」と遺言を認め民草の露の命は消ゆるともめぐむ心はよろず世の末」の辞世の句を残して久米川原で首を刎ねられた。

氏の径山和尚達は藩主に除名を嘆願し認められたが、その赦免を伝える使いが津から上野に到着したときはすでに遅く和尚が刑場の露と消えた後であった。

時に寛政四年(1792)十二月二十一日、敬叟和尚四十二歳。

後世、ここ敬叟和尚の刑場跡には、供養塔が建立され和尚の徳を偲び、また頭上の煩い(頭が良くない。苦悩、心配ごと、病気等)に霊験あらたかとして、今なを民衆の信仰を集めている。

行事

一月二十日 御命日法要

八月二十日 大会式

毎月二十日 御命日

※ 境内掲示より


由来を読んで日本社会の官尊民卑が営々と続いている理由が少しばかり解るような気がします。

嘆願を「文句」のように捉えて、問答無用で首をはねる。

日本国民の多数がが官に弱いのはこのような刷り込みがあるからではないでしょうか。

支配者の圧政に抵抗するすべは命を賭した一揆のような形でしかなかったからでしょうか。

今の政権は民主主義なのでしょうか。