(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2019年11月28日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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伊賀市上野赤坂町 史跡 芭蕉翁生家


三重県伊賀市上野赤坂町にある「史跡 芭蕉翁生家」です。

文学音痴の私にはあまり興味をそそられることではありません。


史跡 芭蕉翁生家

この処は、俳聖松尾芭蕉の生家である。

芭蕉翁は正保元年(1644)ここで生まれた。

父は与左衛門、母は藤堂宮内の移封に従い伊予国宇和島から名張に隋従して来た桃地氏の(むすめ)と伝えられる。

与左衛門夫婦には二男四女があり、長男は半左衛門命清(のりきよ)、次男はのちの芭蕉翁で、幼名を金作、長して宗房を名乗った。

ほかに通称を甚七郎、別に忠右衛門といった。

芭蕉翁が十九歳の頃に仕えた藤堂藩伊賀附の侍大将藤堂新七郎家の息主計良忠は蝉吟(せんぎん)と号して、北村季吟門に俳諧を学んでいた。

俳諧好きの芭蕉翁は新七郎家の文芸サロンにも一座するようになり、めきめきと頭角をあらわした。

その集大成ともいうべきものは、後の処女撰集「貝おほひ」の版行であった。

生家の後園に建つ釣月軒(ちょうげつけん)は若き日の芭蕉翁の書斎である。

芭蕉翁は、ここで「貝おほひ」(俳諧発句合)を編み、寛文十二年正月二十五日、産土神(うぶすながみ)である上野天神宮(うえのてんじんぐう)上野天満宮(うえのてんまんぐう)とも)に奉納して文運を祈願し、その春江戸へと赴いた。

江戸で俳諧宋匠となった芭蕉翁は故郷に幾度となく帰省したが、その故郷観は「代々の(かしこき)き人々も、古郷(ふるさと)はわすれがたきものにおもほへ(はべる)るよし。我今ははじめの老も四とせ過ぎて、何事につけても昔のなつかしきままに(下略)」という心情にしめされている。

  古里や(へそ)の緒に泣く年の暮 芭蕉』

※ 境内掲示より


近くには芭蕉翁の故郷塚もあります。