
三重県伊賀市中友田にある「真言宗豊山派 朝日山 寶光院〔宝光院〕」です。
隣接して鎮座する鞆田神社の境内との境界が解りませんので神宮寺の名残の証拠でもあると思います。
神仏習合の時代から廃仏毀釈や神仏分離や合祀をした結果、それぞれの関わり方が大きく異なったのではないでしょうか。
難しい問題です。

『梵鐘の由来
鞆田神社は、椿宮朝日社と称えられ古く天平年間霊亀元年四月の創建になる。
その別当坊が、新義眞言宗朝日山宝光院金性寺である。
この梵鐘は、宝暦六年四月地元三郷(上友田・中友田・下友田)の祖先を祭祀し住民の安泰を祈願した。
願文を刻銘した梵鐘を寄進したものである。
明治維新の後、神仏分離となり今は伊賀四国八十八ヶ所霊場八十六番の札所として、多くの善男善女がお詣りしている。
「国家安康郷土繁栄」と刻まれ永く郷土繁栄の響きを伝えてきたところ、第二次世界大戦末期に、徴用されその鐘韻を聞くことができなくなった。
その後昭和四十七年二月厄年者一同と、三郷各位の賛同を得て浄財寄進となり、今の梵鐘再建となった。
世界平和・五穀豊穣・住民福祉・交通安全・健康精励・子孫繁栄・煩悩解脱・七難消滅
以上の願文が刻まれ祈念している。
平成二十四年十二月吉日』
※ 境内掲示より

『寶光院の鰐口
阿山町指定文化財
寶光院の本堂にある鰐口は、銅製で直径が37cmある。
裏面には、左記の銘文があり、吉祥の祈願文と寄進者の城吉大夫保次名前が刻まれる。
江戸時代の慶安二年に椿大明神(現・鞆田神社)に寄進されたもので、その後、神宮寺であった寶光院に移されたものであろう。
町内に残る鰐口のうち最っとも古いものである。
(銘文)
雲神功浩浩福不唐損年博永永喜受仍伊州綾部鞆田村椿大明神寶前
慶安二(1649)丑巳 臘朔(十二月一日)城吉大夫保次●●備焉
阿山町教育委員会』
※ 境内掲示より
為政者が決めたことを受け入れるとは限りません。