(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2019年04月20日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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伊賀市上野下幸坂町 幸福寺駒止延命地蔵と地蔵堂


三重県伊賀市上野下幸坂町にある「幸福寺(こうふくじ)駒止延命地蔵(こまどめえんめいじぞう)地蔵堂(じぞうどう)」です。

「鍵屋の辻史跡公園」の天尼母神社(あまにもじんじゃ)の裏の坂道を登って青面金剛(しゃくめんこんごう)文字(もじ)庚申塔(こうしんとう)遺跡を経てお堂が見えていて平らなところがあるなと思ったら見どころ満載でした。


幸福寺(こうふくじ)駒止延命地蔵(こまどめえんめいじぞう)地蔵堂(じぞうどう)

此処は江戸時代に栄え、明治に入って廃寺となった真言宗金龍山幸福寺の旧址で、現存の建物は、その一部の地蔵堂の遺構である。

本尊は永禄三年(1560)八月廿四日の室町時代末期の刻銘のある等身大の地蔵石仏で寺伝に依れば、慶長年間伊予より入国後の藤堂高虎公の伊州巡視に際し、墓の谷にの溝に架かりし石仏を駒止めの霊異によりて発掘し、当寺に安置したものといわれていいるが、地蔵堂の創建は高虎公晩年の寛永元年(1624)頃と伝えられ、その後元禄十年(1697)幸福寺住法印栄俊による堂の再興、嘉永六年(1853)八月、明治二十八年二月などの修理を経て今日に至った。

堂内地蔵尊の左右には、両脇侍の形で、真言宗高祖弘法大師像(元禄三年金剛仏子快鳴盛造像、延享五年真栄補修の墨書銘あり)と、新義派真言開祖興教大師像(真栄の墨書銘あり)とが安置され、内陣厨子周辺や天井などの桃山風荘厳は、当時の全盛を彷彿させる。

江戸時代を通じ、里人の地蔵信仰は篤く、そのためか顔面は摩滅し、「顔のないお地蔵さんの名は、世々の里人の間に伝承されて来た。

女人泰産、衆病悉遠、寿命長命、聡明智恵、財宝盈溢、穀物成就など、その功徳の深遠なる有難き延命地蔵尊として、広く伊州一円の尊崇を、得ていたのであるが、時の流れはすべてを忘却の彼方へおしやり、現在では松籟の音もまばらに境内は閑寂の気につつまれている。

幸福地蔵保存会

※ 境内掲示より



駒止延命地蔵尊(こまどめえんめいじぞうそん)の由来

慶長のころ、藩主藤堂高虎公が馬にて市中を巡視せしが、墓之谷(現在の得居町)にさいかかりし時、馬一歩も進まず 不思議に思い溝にかかった石橋を調べしところ御丈一丈余りの延命地蔵尊が刻まれあり 後これを駒止延命地蔵(こまどめえんめいじぞう)と称し この地に安置せられたり

幸福地蔵保存会

※ 境内掲示より