(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2018年07月09日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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亀山市関町 亀山市指定有形民俗文化財 関の曳山〔山車〕


三重県亀山市関町にある「亀山市指定有形民俗文化財 関の曳山〔山車(やま)〕」です。

現在は四基が残っているということで、其々の山車(やま)が保存されている説明書きが掲示されていました。

時間が取れれば「関宿祇園夏まつり」にそれぞれの山車(やま)も機会があれば撮影に行きたいと思います。

大浦町(おおうらまち)北浦(きたうら)山車(やま)
亀山市指定有形民俗文化財

指定年月日 平成三年三月二十三日

「関の曳山」は、旧東海道関宿に江戸時代の元禄年間(1688 - 1703)から伝わるお祭りです。 最盛期には十六基もの山車(やま)があり、横幕・見送り幕・提灯などを豪華に飾りつけて華美を競い合い、また、笛太鼓で祭囃子をめでながら、家々の軒先をかすめ、人ごみをかきわけて巡行する様から、「この上は無い、精一杯である」という意味で用いられる「(せき)(やま)」という言葉の語源になりました。 現在、木崎町(こざきちょう)大浦町(おおうらまち)北浦(きたうら))・中町三番町(なかまちさんばんちょう)中町四番町(なかまちよんばんちょう)の四基の山車(やま)が保存されており、祭りは毎年七月下旬の土・日曜日に開催されています。 大浦町(おおうらまち)北浦(きたうら))は関宿の中央部、中町の街道北側にあたります。 現在の大浦町(おおうらまち)北浦(きたうら)山車(やま)は、明治十四年五月に滋賀県水口町大池より、代金二百円で購入したとのことです。 天場(てんば)には、笹の葉を持ち、湯立てを行う禰宜(ねぎ)のカラクリ人形が飾られています。 また、山車(やま)の周囲を飾る提灯には、大浦町(おおうらまち)の「大」の文字が用いられています。 見送り幕は「伯龍・紋龍」の図柄で、赤地に縫い取りされています。

平成二十七年三月 亀山市

木崎町(こざきちょう)山車(やま)
亀山市指定有形民俗文化財

指定年月日 平成三年三月二十三日

(せき)の曳山」は、旧東海道関宿に江戸時代の元禄年間(1688 - 1703)から伝わるお祭りです。 最盛期には十六基もの山車(やま)があり、横幕・見送り幕・提灯などを豪華に飾りつけて華美を競い合い、また、笛太鼓で祭囃子をめでながら、家々の軒先をかすめ、人ごみをかきわけて巡行する様から、「この上は無い、精一杯である」という意味で用いられる「(せき)(やま)」という言葉の語源になりました。 現在、木崎町(こざきちょう)大浦町(おおうらまち)北浦(きたうら))・中町三番町(なかまちさんばんちょう)中町四番町(なかまちよんばんちょう)の四基の山車(やま)が保存されており、祭りは毎年七月下旬の土・日曜日に開催されています。 木崎町(こざきちょう)は関宿の東側の地域で、江戸時代には、神事講・宮講の二基山車(やま)があり、各町の山車(やま)を宮の前(関神社(せきじんじゃ))へ曳き込む際の先達を交互に努めていましたが、明治時代に二基とも廃止され、現在の木崎町(こざきちょう)山車(やま)にまとめられました。 山車(やま)は、滋賀県水口町大池より購入したものと伝えられています。 木崎町(こざきちょう)山車(やま)は、現存する四基の中で最も規模が大きく、四つの御所車の上に囃子が座る囃場があり、その上に天場(てんば)が乗る二層露天式といわれる構造形式です。 山車(やま)前部には、参加する町内各組の名前が書き込まれた提灯が並べられ、山車(やま)の周囲を飾る紅提灯には「五七の桐」の図柄が用いられています。 見送り幕は、風景をあしらったものと、「がま仙人」の図柄の二種類があり、「がま仙人」の見送り幕を用いると雨が降ると伝えられています。

平成二十七年三月 亀山市

中町三番町(なかまちさんばんちょう)山車(やま)
亀山市指定有形民俗文化財

指定年月日 平成三年三月二十三日

(せき)の曳山」は、旧東海道関宿に江戸時代の元禄年間(1688 - 1703)から伝わるお祭りです。 最盛期には十六基もの山車(やま)があり、横幕・見送り幕・提灯などを豪華に飾りつけて華美を競い合い、また、笛太鼓で祭囃子をめでながら、家々の軒先をかすめ、人ごみをかきわけて巡行する様から、「この上は無い、精一杯である」という意味で用いられる「(せき)(やま)」という言葉の語源になりました。 現在、木崎町(こざきちょう)大浦町(おおうらまち)北浦(きたうら))・中町三番町(なかまちさんばんちょう)中町四番町(なかまちよんばんちょう)の四基の山車(やま)が保存されており、祭りは毎年七月下旬の土・日曜日に開催されています。 中町三番町(なかまちさんばんちょう)山車(やま)は、白木造りで、天場(てんば)高欄下に龍の彫刻が施されていて目を引きますが、全体は質素なつくりになっています。 電線が設置された大正四年、巡行の支障になることから、最上部にあった天障子が撤去されていましたが、平成十四年の大修理の際、これを復元しました。 また、山車(やま)の周囲を飾る紅提灯には三番町の「三」の文字を図案化して用いています。 見送り幕は、「昇龍・降龍」の図柄で、嘉永年間(1848 - 1853)に製作されたと伝えられています。

平成二十七年三月 亀山市

中町四番町(なかまちよんばんちょう)山車(やま)
亀山市指定有形民俗文化財

指定年月日 平成三年三月二十三日

(せき)の曳山」は、旧東海道関宿に江戸時代の元禄年間(1688 - 1703)から伝わるお祭りです。 最盛期には十六基もの山車(やま)があり、横幕・見送り幕・提灯などを豪華に飾りつけて華美を競い合い、また、笛太鼓で祭囃子をめでながら、家々の軒先をかすめ、人ごみをかきわけて巡行する様から、「この上は無い、精一杯である」という意味で用いられる「(せき)(やま)」という言葉の語源になりました。 現在、木崎町(こざきちょう)大浦町(おおうらまち)北浦(きたうら))・中町三番町(なかまちさんばんちょう)中町四番町(なかまちよんばんちょう)の四基の山車(やま)が保存されており、祭りは毎年七月下旬の土・日曜日に開催されています。 中町(なかまち)は関宿の中央部で、江戸時代には、街道沿いに最も西の一番町から順に六番町まで、また大浦町(おおうらまち)北浦(きたうら))、南浦をあわせて八基の(やま)がありました。 中町四番町(なかまちよんばんちょう)(やま)は、台車部分及び内柱などの構造部分、欄間彫刻などは白木づくりで、外柱・高欄などは黒漆塗りです。 全体に彫刻が多く、木鼻彫刻や高欄に金があしらわれているなど、豪華なつくりになっています。 なお、電線が設置された大正四年(1915)、巡行の支障になることから、最上層にある天障子が失われたままとなっていましたが、平成二十三年の修理の際、これを復元しました。 (やま)の周囲を飾る紅提灯には、四番町の「四」の文字を図案化して用いています。 また、見送り幕は、「波と弁財天」の図柄です。

平成二十七年三月 亀山市

※ 境内掲示より

また訪問したいと思います。