(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2018年03月18日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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伊賀市柘植町 浄土宗 平庸山 無量寿院 徳永寺〔柘植善光寺〕


三重県伊賀市柘植町にある「浄土宗 平庸山 無量寿院(むりょうじゅいん) 徳永寺(とくえいじ)柘植善光寺(つげぜんこうじ)〕〔公式HP〕」です。

柘植駅から津美恵神社(つみえじんじゃ)の脇を通って西へ進んで来ました。

2016年の干支は「申」だからでしょうか、今年はあちらこちらで野生の猿を見かけます。

不思議です。


市指定文化財

藤堂藩主代々寄進状

藤堂高虎公から元和元年(1615)に下付されたのをはじめとして歴代の藩主の寄進状十通がある。

石造宝篋印塔

相輪は欠けているが南北朝後期の作である。

梵鐘 鐘楼

もと宮寺石照寺にあったもので享保三年(1718)の天台宗安楽律院派の僧玄門の鐘銘がある。

伊賀市教育委員会』

※ 境内掲示より


理由は解りませんが、カラオケ店の前に大きな看板があります。


大和街道上柘植宿・徳川家康ゆかりのお寺

大和街道

大和街道は、関から大和に向かう街道で古代から交通の要衝であり、江戸時代に宿場として整えられた。

本陣は、間口三十九間、奥行二十三間、地積三反余、物資を継立する問屋も兼業していた。

左図は加太越奈良道見取絵図の上柘植宿であるが、本陣前に高札場、西に火除堤があり、街道は宿場独特の鍵形となり宿場町を形成していた。

徳永寺(とくえいじ)

平庸山 無量寿院(むりょうじゅいん)と号し、浄土宗に属する。

本山は京都、知恩院(ちおんいん)である。

開基年代等は不詳であるが、寺伝によれば天昇十年(1582)六月二日未明に起きた明智光秀による本能寺の変直後、堺に居た徳川家康が三河岡崎へ急ぎ帰城するに際し(神君、伊賀越)時の住職(西誉崇徳上人は一行に休息の場を提供し、後年当寺は家康公より恩賞として寺領を下賜され葵紋の使用を許されたとある。

寺領は、藤堂高虎の伊賀入国以来、歴代藩主の寄進状を以て公認され現在に至る。

明治初期の神仏分離令により廃寺となった旧石照院本堂を境内に西側に移築し、明治二十七年秋、信州善光寺より一光三尊阿弥陀如来の御分身を勧請して、柘植善光寺(つげぜんこうじ)を開き毎年両彼岸に法要を厳修している。

境内に祀る六地蔵中央に位置する宝篋印塔は室町期、閻魔堂、仁王堂は江戸中期に始まる。

堀内側に立つ名号石は、浄土宗総本山知恩院(ちおんいん)第六代世察誉貞瑞大僧正当寺出身揮毫によるものである。

伊賀市教育委員会』

※ 境内掲示より


法要か行事を行っておられたようなので、迷惑をかけないように早々に退散しましたので再度訪問参拝したいと思います。


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