(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2018年02月08日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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亀山市関町中町 関宿高札場(復元)


三重県亀山市関町中町にある「関宿高札場(せきしゅくこうさつば)(復元)」です。


関宿高札場(せきしゅくこうさつば)

高札場(こうさつば)とは、幕府の法度(はっと)掟書(おきてがき)、宿場の決まりなどを掲示した場所です。

関宿(せきしゅく)高札場(こうさつば)は、江戸時代に描かれた数々の絵図を見ても、関宿(せきしゅく)中町北側(現関郵便局)にありました。

当時この敷地は、「御茶屋御殿(おちゃやごてん)」と呼ばれ、江戸時代初期においては本陣の役割を果たす施設でしたが、関宿(せきしゅく)に本陣が確立されてからは、亀山藩の施設として番所などが置かれていました。

関宿高札場(せきしゅくこうさつば)は、この御茶屋御殿(おちゃやごてん)の街道に面した位置にあり、街道に面した間口十一間余のほぼ中央に、枡形状の土塀に囲まれてあり、高札場(こうさつば)の建設、高札の付け替えなどは亀山藩が行っていました。

「東海道宿村大概帳」によると、関宿高札場(せきしゅくこうさつば)には、八枚の高札が掲げられており、その内容は、生活にかかわる様々な規範、キリシタン禁令や徒党・強訴などの禁止といった幕府の禁令・隣接宿場までの人馬駄賃(だちん)の規定などでした。

明治時代になると、各地の高札場(こうさつば)は撤去されますが、関宿の高札場(こうさつば)も、明治十年、関宿中町伊藤家の土蔵建築の際、旧高札場(こうさつば)の石、土、瓦等を残らず処分したことが当家文書にあり、周囲の土塀なども含めすべてが撤去されたことがわかります。

この度、関宿の街並み保存に取り組んでいただいている「関宿街並み保存会」、「関宿案内ボランティアの会」、「関町観光協会」の三団体より、高札場復元のご要望をいただき、また、復元場所を所有する日本郵政公社及び関郵便局の多大なるご理解・ご協力を賜り、宿場町の重要施設のひとつである高札場の復元が実現したものです。

(復元概容)

●復元年代 規模及び高札についての史料が残る、寛政年間から天保年間頃

●規模 寛政年間の史料と考えられる「御分間絵図御用 宿方明細書上帳 関宿」(服部家文書)に「高サ弐間四尺弐寸 長三間弐尺五寸、幅一間弐尺」という記載があり、これを基本とした。

●形状 関宿の高札場(こうさつば)の形状を描いた図面類は残存せず、他の高札場(こうさつば)の幕末から明治期の写真等を参考とした。

●高札 掲示する高札については、関宿のものは現存せず、同様の内容を記載した他の考察を参考とした。また、文言については「東海道宿村大概帳」の記載通りとしたが、読み易さを考慮して楷書とした。

●形状 高札場裏側には構造上必要な、補強壁を設けた。

平成十六年三月 関町教育委員会』

※ 境内掲示より


郵便局前には日本最古のポスト(模造)もあります。