(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2018年01月23日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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津市大門 恵日山 観音寺 大宝院〔津観音〕


三重県津市大門にある「恵日山(じんじゃ) 観音寺(かんのんじ) 大宝院(だいほういん)津観音(つかんのん)〕〔公式HP〕」です。

門前には左側の石柱に「別格本山 大宝院(だいほういん)」と刻まれ、右側の石柱には「恵日山 観音寺(かんのんじ)」と彫られています。

伊賀へ越してきたのですが、足が向くのは西方の奈良や大阪や京都が主で、青山高原を超えて東へ進んだのは片手の指の数よりも少なかったのですが、どうしても津に来ないといけない年齢になりました。(年金事務所が伊賀名張にはありません。)

五重塔もありますし、三十三観音石仏まで奉られています。


津市指定有形文化財

絵画 絹本着色(けんぽんちゃくしょく) 虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)(ぞう) 一幅

鎌倉時代 昭和五十八年六月六日指定

大法院(だいほういん)は、観音寺(かんのんじ)の境内にあった寺院の一つで、かつては他に6つの寺院があった。鈴鹿の国府(こう)にあった阿弥陀如来(あみだにょらい)を移して本尊としたので、国府(こう)阿弥陀(あみだ)と呼ばれ、江戸時代には伊勢参宮の旅人が立ち寄って賑わった。
 この像は、絹布の横幅いっぱいに白色の円を描き、その中の蓮華座(れんげざ)の上に、正面を向いて描かれている。全体として、落ち着いた色調の中に装飾性が感じられる緻密な仏画である。

絵画 絹本着色(けんぽんちゃくしょく) 愛染明王(あいぜんみょうおう)(ぞう) 一幅

南北朝時代 昭和五十八年六月六日指定

愛染明王(あいぜんみょうおう)とは人間の愛欲煩悩をなくして、さとりの心に導く明王で、恐ろしい姿をしているが、内心は愛に満ちた仏である。像の体・光背(こうはい)蓮華(れんげ)とも赤色で表現され、台座の宝瓶の周囲には、様々の宝物を散らし、画面いっぱいに堂々とした迫力で描かれている。装身具や台座などは金泥(きんでい)によって細かい文様が描かれている。

絵画 絹本着色(けんぽんちゃくしょく) 弘法大師(こうぼうだいし)(ぞう) 一幅

鎌倉時代 昭和五十八年六月六日指定

椅子(いず)式の牀座(しょうざ)に座り、右手は胸の前で五鈷杵(ごこしょ)を握り、左手は膝の上で念珠(ねんじゅ)を持っている。椅子の前には木履(きぐつ)を、向かって右隅には水瓶を置いている、これは高野山御影堂(みえいどう)御影堂(みえいどう)の本尊である大師像を写したもので、線に硬さがみられるものの原本の感じをよく伝えている。椅子(いず)の脚横の墨書銘(ぼくしょめい)から、もともとは京都の泉涌寺真言院(しんごんいん)に伝わっていたものであることがわかる。

絵画 絹本着色(けんぽんちゃくしょく) 十二天(じゅうにてん)(ぞう) 四幅

室町時代 昭和五十八年六月六日指定

十二天(じゅうにてん)とは、上下(じょうげ)日月(にちげつ)八方(はっぽう)を守護する12の天部のことである。1体それぞれが、蓮の葉の上に立つ姿で描かれている。もとは6曲屏風(びょうぶ)の一双の各面に1体ずつ描かれていたが、現在は3体ずつを一幅の掛幅にしている。表具の布地に足利(あしかが)氏の家紋(かもんじ)が見られ、六代将軍足利(あしかが)義教(よしのり)の時、観音寺(かんのんじ)の境内にあった恵音院(けいおんいん)足利(あしかが)氏の祈願所(きがんしょ)となった時の遺品であると伝えられている。

彫刻木造 阿弥陀如来(あみだにょらい)坐像(ざぞう) 一躰

平安時代 昭和五十三年十一月二十日指定 管理者 観音寺(かんのんじ)

大里窪田町の安養寺(あんようじ)の本尊であったが、終戦後安養寺(あんようじ)の本堂が観音寺(かんのんじ)に移設されたために、同町の仲福寺(ちゅうふくじ)に安置されていたものが再度、観音寺(かんのんじ)に保管が寄託されたものである。寄木造(よせぎづくり)、近年の修理で金箔が厚く塗られているが、定朝様の特色を随所に認めることができる。
 台座は底面の墨書銘(ぼくしょめい)から、江戸時代初期の正保二年(1645)に作り直されたことがわかる。現在は観音寺(かんのんじ)本堂内の向かって右側に安置されている。

津市教育委員会

※ 境内掲示より


津市指定有形文化財

工芸品 銅燈籠(どうとうろう)

江戸時代 昭和三十一八年五月十四日指定

観音堂(かんのんどう)の正面参道の中央に立っているもので、銘文によると寛永五年(1628)に津藩主藤堂高虎が寄進し、津の鋳物師(いものし)、辻但馬少掾吉種と同越後少掾重種の兄弟によって作られたことがわかる。高さ220cm、笠の上の蕨手(わらびて)宝珠(ほうじゅ)の造り、竿の上下の節の珠文(しゅもん)、竿の下の反花(そりばな)、基礎にある浮彫(うきぼり)唐獅子(からじし)等全体に飾り気が少なく重厚な感じを与える。昭和二十年(1945)に戦災の爆風で倒壊したが、修復されて昔の姿に戻されている。

工芸品 銅鐘(どうしょう)

江戸時代 昭和三十一八年五月十四日指定

かつて境内の鐘楼(しょうろう)に掛かっていたもので、昭和二十年(1945)の戦災で鐘楼(しょうろう)が焼失し、梵鐘(ぼんしょう)のみが残った。総高166cm、口径93cmで全体に装飾的文様が少なく、全体のプロポーションもすっきりした古風のものである。表面に刻まれた銘文(めいぶん)には、観音寺(かんのんじ)縁起(えんぎ)から江戸時代に藤堂高虎によって寺が復旧され、この鐘が元和(げんな)三年(1617)に長谷川氏の娘の清雲院と長野春秀が施主となって、津の鋳物師(いものし)、辻越後守家種とその子、吉種、重種によって作られたことが刻まれている。

工芸品 銅造水盤(どうぞうすいばん)/em>

江戸時代 昭和三十一八年五月十四日指定

仁王門(におうもん)内西脇にある手水屋形(ちょうずやかた)の中に置かれ、幅81cm、奥行91cm、高さ63cm、底の西隅に高さ15,5cmの脚がつけられている。前面に大きく「一御厨」と浮彫があり、中世に安濃津が伊勢神宮の御厨(みくりや)(荘園)であった名残を留める記念碑的な意味がある。裏面には「氏子中」と大きく浮彫(うきぼり)があり、その右側に「天保(てんぽう)七丙申歳(1836)三月穀旦」、左側に「津藩奥山金吾重盈鋳造」と小さく陽鋳(ようじゅ)されている。奥山金吾重盈は幕末に津藩の鋳物師として活躍した人物である。

工芸品 (けい)

江戸時代 昭和三十一八年五月十四日指定

読経(どきょう)などの際に使用する仏具である。中央に直径7.5cmの打坐があり、蓮華文(れんげもん)胡桃(れんべん)型の八葉の蓮弁の間に剣先様の複弁(くるみ)がつく。左右に相対して孔雀(くじゃく)が静かに羽ばたいている姿が鋳られている。表面に刻まれた銘文によると、寛永五年(1628)に津の鋳物師(いものし)、辻但馬少掾吉種と同越後少掾重種の兄弟によって作られたことがわかる。

津市教育委員会

※ 境内掲示より


広大な境内には少なくない人が見られますので参詣者の後が絶たないということでしょう。

周辺をウロウロしていて辿り着いたので、予備知識もなかったのですが、近々に津へもう一度来る予定がありますので、再訪問して参拝したいと思います。

本堂の天井には飛天の絵が描かれていて、額には立派な龍の絵があります。


関連情報レポートリンク

【津市 寺院一覧】

【★】は、参拝は、不可、又は事前連絡要の寺院