(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2018年01月18日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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名張市安部田 坂ノ下堰堤〔木津川上流堰堤百基記念碑〕


三重県名張市安部田にある「坂ノ下堰堤〔木津川上流堰堤百基記念碑〕」です。

俗にいう「砂防ダム」というものだと思うのですが、説明文まであるのは記憶にありません。

この道は、東大寺(とうだいじ)二月堂(にがつどう)のお水取りの松明(たいまつ)が名張市の極楽寺(ごくらくじ)から運ばれる道筋になります。

登ったことはなく、降りてくるのは二度目ですが、前には何だろうと通り過ぎました。


木津川上流堰堤百基記念碑

砂防堰堤は土石流をしっかり受け止め、その勢いを弱めて下流に流し、土砂や流木を貯めて山腹面の崩壊を防ぎ、下流にある家屋や財産を守ります。

砂防堰堤しくみ

1.砂防堰堤がないと、大量の土砂が一気に下流まで流れます。

2.砂防堰堤を造ると上流からの土砂で満砂状態となり、川の勾配がゆるくなって両岸の山腹の崩壊を防ぐことができます。

3.大雨などによりづしゃが流れてきた場合、砂防堰堤はさらに多くの土砂を一時的に貯めます。

4.一時的に砂防園庭に貯められた余分な土砂は、その後中・小洪水によって徐々に下流へ流されます。砂防堰堤では、2.3.4の状態を繰り返し機能を維持し続けます。

木津川上流砂防事業の歴史と足跡

森林荒廃

木津川流域の産地はかつては大森林地帯でしたが、特に奈良時代に神社・仏閣などの建築造営の溶剤として乱伐され、森林は荒廃しました。その結果そこから流失した土砂などにより、下流の地域に幾多の災害をもたらしました。

明治時代に山腹工を主体とし直轄砂防事業開始

江戸時代の中期以降、土砂災害の対策として砂防の重要性が認識され始め、明治十一年からは、オランダ人技師ヨハネス・デ・レーケの施工指導などにより、荒廃した山地の土砂流失を防ぎ、緑を蘇らせることを目的とした山腹工を主体とし直轄砂防事業が開始されました。京都府(相楽郡・綴喜郡)、三重県(阿山郡・那賀郡)の木津川流域において、昭和三十四年までに2,600haの山腹工を実施しました。

昭和二十七年、木津川上流で初めて砂防堰堤「葛尾堰堤」完成

百基目「坂ノ下堰堤」完成

その後、昭和三十四年の伊勢湾台風によって木津川上流部に無数の山腹崩壊地が発生し、そこから土砂が大量に流れ出し、多くの人命・財産に被害をもたらしました。

こうしたことから、土砂災害を防ぐ砂防堰堤を管内各所で整備を進め、現在ここ「坂ノ下堰堤」で100基目となりました。

第百基目「坂ノ下堰堤」

ここ観音谷流域は、淀川水系木津川の「宇陀川」の支流で、奈良・三重県の県境に位置しています。

流域の地質は崩壊しやすい花崗岩の為、過去に小規模な山腹崩壊や土砂流出が発生しています。

また、異常降雨発生時には大規模な土石流が発生し、下流域で被害が生じる危険性がありました。

そこで、土砂流災害を防ぐ為、ここに「坂ノ下堰堤」をつくりました。

堰堤の壁面には植生を施し、周辺の景観に配慮した緑の砂防堰堤としました。

堰堤部は平成十一年三月に着手し、平成十三年三月に完成しました。

また堰堤下流側に樹林帯整備を行い、平成十四年三月に観音谷流域の土石流災害対策が完了しました。』

※ 境内掲示より



東大寺(とうだいじ)「お水取り」の松明(たいまつ)を奉納

極楽寺(ごくらくじ)松明(たいまつ)調達行事

毎年、三月一日かあ十四日まで奈良東大寺(とうだいじ)二月堂(にがつどう)で行われる、修二会(しゅにえ)、いわゆる「お水取り」で、十三日未明の韃靼(だったん)と呼ばれる水火の荒行に用いられる松明(たいまつ)は、名張市赤目町一ノ井から調達されています。

この行事は、鎌倉時代からの伝承行事で、平安時代の長者道観の遺言によって始められたと伝えられています。

道観は、二月堂(にがつどう)松明(たいまつ)料として田・六段を東大寺(とうだいじ)に寄進したと言われ、極楽寺(ごくらくじ)も道観の創建と言われています。

松明(たいまつ)の作成は二月中旬に松明(たいまつ)講の人々が樹齢七十から八十年の檜一本を切り出し、極楽寺(ごくらくじ)の境内で松明(たいまつ)に仕上げ、三月十二日に東大寺(とうだいじ)まで運ばれます。』

※ 境内掲示より


極楽寺(ごくらくじ)からの奉納行列は、募集されているのですが、可能であれば一度参加したいものです。