(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2017年12月23日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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津市寿町 史跡 津藩主 久居藩主 歴代墓苑〔寒松院〕


三重県津市寿町にある「史跡 津藩主(つはんしゅ) 久居藩主(ひさいはんしゅ) 歴代墓苑(れきだいぼえん)寒松院(かんしょういん)〕」です。

天然寺と周辺の多くのお寺の参拝を済ませて光徳寺を経て極楽寺まで来た時に隣接する消防署より先に何やら緑の生け垣を見つけて何があるのかと思ってやってきました。

巨大な五輪塔が見えたので歩を進めると「史跡 津藩主(つはんしゅ) 久居藩主(ひさいはんしゅ) 歴代墓苑(れきだいぼえん)」と石板に彫られています。


『津市指定史跡

藤堂家(とうどうけ)墓地 26基

江戸時代 昭和五十年四月二十六日指定

寒松院(かんしょういん)は津藩主藤堂家の菩提寺で、津藩及び支藩の久居藩の藩主の墓が並んでいる。

墓は津藩の初代から10代までの藩主とその家族など15基が本堂西側に、久居藩では津藩主になった藩主を除いた藩主と、その家族など11基が本堂の北側に並んでいる。

墓石の形は五輪塔と板石の塔の2種類があり、久居藩の墓はややこぶりで元の位置から移転されている。

寒松院(かんしょういん)は2代藩主の高次が創立した昌泉院が始まりで、のちに藩主と菩提寺となってから初代藩主高虎(たかとら)の院号をとって寒松院(かんしょういん)と改められた。

寒松院(かんしょういん)には本堂、書院のほか位牌堂があり寺領も四百石が与えられ末寺も十八寺を数えた。

藩の費用で寺の維持が行われ、藩主が毎月参拝し、歴代藩主の命日には法要が営まれた。

明治時代になって藩の保護を失ったが、明治十二年(1879)には第一回の県議会が開かれるなど、この地方の中心的寺院であった。

昭和二十年(1945)戦災を受けてすべての建物が焼失し、藤堂家の墓石も破損した。

戦後寺の敷地も小さくなり、西側にあった堀川も埋め立てられ現在は道路に変わっている。

津市教育委員会』

※ 境内掲示より


説明書きを読んでいて、大名家がなくなっているのでこのお寺を維持できなくなっているのでしょうか。

何となく大きな違和感を覚えます。

別に紹介しますが、寒松院(かんしょういん)が存続敷いているようには思えません。

どういうことなのでしょうか。


関連情報レポートリンク

【津市 寺院一覧】

【★】は、参拝は、不可、又は事前連絡要の寺院