
三重県津市一身田町に鎮座する「一御田神社」です。
専修寺の太鼓門からすぐの道を進むとこの神社が鎮座していました。
専修寺の印象が衝撃的であったのですが、周辺を散策してみてここに至りました。
周辺に他に神様は見当たらないのですが、説明書きがありました。

『一御田神社
この神社は、原始時代に農業集落であたころからの鎮守で、農耕と水の神を主神とし、向かって右側の社殿には天満宮(菅原道真公)をお祀りしています。
当社には室町時代に、祭礼に用いた能面や、田楽の楽器(ささら)、それに古い棟札などが宝物として伝えられていますが、そのうち最古の棟札は嘉吉三年(1443)のもので、36軒の農民がこの神社に奉仕していたことが記されており、専修寺が建てられる以前の一身田村の姿をしのばせます。』
※ 境内掲示より

『津市指定有形文化財 歴史資料
一御田神社神宝類 27点
所有者 一御田神社
指 定 昭和三十四年五月七日
能面 一面
室町時代
大きさは縦 21.2cm、横 15.8cmです。痩せた翁の面で、目の周囲を大きくくぼませて目尻を下げ、瞳に四角の孔を開けています。鼻は大きく笑うように口を開けています。頭骨が高く頬がこけ、額に皺を刻んだ写実的な面です。能がまだ神事芸能としての性格を持っていた頃のもので、能面の形式が定型化する以前のものです。
簓 二組

室町時代
大きさは長さ 75cm と 10cm です。雌竹の手元約3分の1を残して鋸歯状に加工したものと、細かく縦に割ったものをを1組にしてこすり合わせて音を出す楽器で、明応四年(1495)の銘があります。
田植歌 一枚
室町時代 - 江戸時代
檜の横板に「大梵天天皇御田歌」と墨書され、田植歌が書かれています。この歌は、室町時代の歌詞をそのまま伝えるもので、現在も御田植神事の際には神職がこの歌詞を読み上げています。
棟札 二十二枚
室町時代 - 江戸時代
すべて檜材でできており、嘉吉元年(1441)から寛政十二年(1800)までの銘があります。なかでも嘉吉三年(1443)の棟札には「信心村人(氏子)35軒)の存在が書かれており、一身田に専修寺が移ってくる以前の様子を伝えています。

扁額 一枚
明治時代
大きさは縦 75.7cm 、横 30.3cm です。大師流によって「梵天宮」と書いた字を銅板にくりぬき、板に打ち付けたものです。板は明治時代に新しくされたもので、裏に明治四年(1871)に社名を一御田神社に変更したことが書かれています。
津市教育委員会』
※ 境内掲示より
寺内町ということですが興味津々です。
訪問参拝する価値は大いにあります。