(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2017年12月03日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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津市一身田町 真宗高田派本山 専修寺


三重県津市一身田町にある「真宗高田派本山 専修寺(せんじゅじ)公式HP〕」です。

2017年末に「三重県津市の高田本山(たかだほんざん)専修寺(せんじゅじ)御影堂(みえいどう)如来堂(にょらいどう)の2棟が国宝になることが決まりました」と発表がありました。

先日、津市を初訪問して日が経ちませんが、何処かへ行こうかと思いついてやってきました。

家並みの中に超巨大な屋根を見つけてやってきて辿り着きました。


重要文化財 建造物

専修寺(せんじゅじ)山門(さんもん) 一棟

時 代 江戸時代

所有者 専修寺(せんじゅじ)

指 定 平成二十五年八月七日

御影堂(みえいどう)の正面にあり、専修寺(せんじゅじ)の総門にあたる。すぐ前には道を隔てて石畳が伸び、その途中にある石橋(いしばし)釘貫門(くぎぬきもん)、左右にある玉保院(ぎょくほういん)智慧光院(ちえこういん)、さらには古い町並みと一体になって、本山の門前にふさわしい雰囲気をつくっている。

二階建てで、間口 20m 、奥行 9m 、高さ 15.5m の大きな門である。正面の柱間は五間で、そのうち三間に扉を付けて入口とし、二階内部には釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)を安置している。仮想の組み物は大仏様の形式をとり。挿肘木(さしひじき)という肘木(さしひじき)が斗にのらず直接柱に挿し込まれる形になっている。全体の形式と組物の用い方は京都の東福寺(とうふくじ)三門(さんもん)(応永十二年(1405)の建立・国宝)とよく似ており、参考にしたと思われるが、裏側で三間分だけ屋根が張り出している点(裏後拝(うらこうはい))は他に例を見ない珍しい手法である。

瓦の刻銘その他の資料によると、元禄六年(1693)ごろから建築にとりかかり、宝永元年(1704)頃に完成したものと思われる。柱などの部材の傷みや傾きが激しくなったため、平成五年より三年がかりで大規模な修理が行われた。

津市教育委員会』

※ 境内掲示より



津市指定有形文化財 建造物

専修寺(せんじゅじ)釘貫門(くぎぬきもん) 一対二棟

時 代 江戸時代

所有者 専修寺(せんじゅじ)

指 定 平成十五年六月十五日

釘貫門(くぎぬきもん)とは、柱を立てて並べて横に貫を通しただけの簡単な門のことで、町の入り口に設けた木戸のようなものを示すこともあります。現在は、この山門前の釘貫門(くぎぬきもん)だけが残りますが、宝暦年間(1751 - 63)の木版地図には、他に三か所の矢来(やらい)釘貫門(くぎぬきもん))が描かれています。

この釘貫門(くぎぬきもん)は、道路を挟んで同型同大の東西2棟からなり、石橋(いしばし)釘貫門(くぎぬきもん)の対向する親柱には、高欄(こうらん)が設けられていた痕跡が残っています。双方を繋ぐ構造や開閉の装置を持つものではありませんが、専修寺(せんじゅじ)では釘貫門(くぎぬきもん)と称されています。釘貫門(くぎぬきもん)は、山内寺院と町屋を隔てる堀の北側に位置し、堀上に掛けられた石橋(いしばし)と併せて聖俗の結界をなす装置となるもので、本来の形式を留める現存する貴重な例です。

津市教育委員会』

※ 境内掲示より



津市指定有形文化財 建造物

石橋(いしばし) 一基

時 代 江戸時代

所有者 津市

指 定 平成十五年六月十五日

この石橋(いしばし)は、山内寺院と町屋を隔てる堀の上に掛かる橋です。堀上に円弧状の橋板11枚を並べた石造りの反り橋で、橋の南側の橋詰では、高欄(こうらん)は親柱から水路に沿って折れ曲がりますが、東側では一部部材を欠き、その一部は近年新材となっています。製作時期は、「高田史料」第3巻(松山忍明編)の宝暦十年(1760)編に、「三月八日、山門前石橋(いしばし)成ル、初渡式」との記述があることから、その建立時期が明確です。

津市教育委員会』

※ 境内掲示より



重要文化財 建造物

専修寺(せんじゅじ)唐門(からもん) 一棟

時 代 江戸時代

所有者 専修寺(せんじゅじ)

指 定 平成二十五年八月七日

如来堂(にょらいどう)の正面に建つ門で、文化六年(1809)に木挽きが始まり、文政十年(1820)に地築き、天保十五年(1844)に棟上げをしている。

屋根は檜皮葺(ひわだぶき)で正面と背面の軒に大きな唐破風(からはふ)があることから唐門(からもん)と呼ばれる。控柱四本が腰長押から下で、斜め外に踏み出した形になっているのは注目される。材料はすべて(けやき)造りで、厳しく吟味された品位の高いものを入念に加工している。腰長押と飛貫との間、扉、その脇の小壁、欄間には勢いのある菊、ぼたんの透かし彫りが彫られ、他の部分にも親子の獅子や力士の彫刻がされるなど、全体に華麗で複雑な構造をした門である。造営時に配られたと思われる木版彫りの立面図が残っていて、それによると始めは檜皮葺(ひわだぶき)本瓦葺(ほんがわらぶき)の二案が考えられていたらしい。

大工の棟梁は近江国八幡(滋賀県近江八幡写市)の高木作右衛門光規、同光一の二代で、光規は如来堂(にょらいどう)を建立した人物の孫にあたる。

津市教育委員会』

※ 境内掲示より



重要文化財 建造物

専修寺(せんじゅじ)十一棟のうち

御廟拝堂(ごびょうはいどう)御廟唐門(ごびょうからもん)及び透塀(すきべい)

時 代 江戸時代

所有者 専修寺(せんじゅじ)

指 定 平成二十五年八月七日

正面の御廟唐門(ごびょうからもん)から御廟拝堂(ごびょうはいどう)、石橋と続き、その奥に親鸞の墓「御廟」があり、それをとり囲むように専修寺(せんじゅじ)歴代住持(じゅうじ)の墓が配置されています。

御廟唐門(ごびょうからもん)は文久元年(1861)の建築で、屋根は檜皮葺、長押や柱の間や扉などは工芸品のように美しく隅々まで彫刻で埋め尽くされています。左右に連なる透塀(すきべい)も同時に造られたもので、腰回りにスイセン、ハス、タンポポなどの草花の彫刻が付けられています。

御廟唐門(ごびょうからもん)は瓦の銘文により安政五年(1858)の建築と考えられ、屋根の4面に千鳥破風(ちどりはふ)を付け正面軒に唐破風(からはふ)を付けています。内部の床は、瓦の継ぎ目を斜めにした、いわゆる四半敷(しはんじき)で敷かれています。

親鸞の墓「御廟」は寛文十二年(1672)専修寺(せんじゅじ)に伝えられていた親鸞聖人の遺骨五粒を埋めて造られたものです。

津市教育委員会』

※ 境内掲示より



重要文化財 建造物

専修寺(せんじゅじ)太鼓門(たいこもん) 一棟

太鼓胴(たいこどう) 一個

時 代 江戸時代

所有者 津市

指 定 平成二十五年八月七日

この門は、専修寺(せんじゅじ)境内の東辺に位置し、江戸時代の寛文年間(1661 - 73)のいと姫の輿入(こしい)れの際に津藩から寄進されたといわれ、創建時の一層の(やぐら)を載せた形式から文久年間(1861 - 64)の整備で三層となり、明治期に全解体修理がおこなれています。多層の太鼓門(たいこもん)としては類例が少なく貴重な建造物であり寺内町の景観を形成する要素としても重要です。

最上階には直径 1m ほどの大太鼓(おおだいこ)が吊り下げられており、専修寺(せんじゅじ)法要(ほうよう)のある時には、これが打ち鳴らされ法要の進行役をつとめます。昔はこの太鼓(たいこ)で町の人々に時を知らせました。その当時に使われた太鼓(たいこ)には、胴の中に享保十四年(1729)の墨書銘(ぼくしょめい)があり、時の太鼓(たいこ)の遺品として貴重です。

津市教育委員会』

※ 境内掲示より


太鼓門(たいこもん)

この門は、最上階に直径 1m ほどの大太鼓(おおだいこ)が吊り下げられており、専修寺(せんじゅじ)法要(ほうよう)のある時には、これが打ち鳴らされ法要の進行役をつとめます。昔はこの太鼓(たいこ)で町の人々に時を知らせました。その当時に使われた太鼓(たいこ)には、胴の中に享保十四年(1728)の墨書銘(ぼくしょめい)があり、時の太鼓(たいこ)の遺品として貴重です

※ 境内掲示より (注:享保十四年(1729)・享保十四年(1728)は、グレゴリオ暦では両年にまたがりますが、ほぼ1729年にあたると思います。)


凄い規模のお寺ですね。

国道165号線の伊勢湾近くを散策したときには、このお寺を本山とする宗派のお寺ばかりだなと思っていて、何処にあるんだろうかと思っていました。

大屋根に導かれてやってきました。

有難いことです。


関連情報レポートリンク

【津市 寺院一覧】

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