
三重県伊賀市長田に鎮座する「天台真盛宗 紫雲山 西蓮寺」です。
このお寺は前を通りかかった時にあまりの立派さに驚いたのですが、訪問した時に撮影した写真が未だに見つかりませんでした。
仕方がないので先日再訪問して撮影したのですが、前回訪問した時に気づかなかった事の多さに驚きました。
今回撮影に失敗した場所もあるのでまた参拝します。

『西蓮寺鐘楼門
上野市指定建造物
元文四年(1739)常念仏三万五千日回向記念に建立
規模構造
木造建造物 棟高7.8m
入母屋造 一重二階・高欄付回縁
三間一戸四脚門・本瓦葺楼上に大徳寺清巌和尚の書「医王山」の扁額あり』
※ 境内掲示より

『縁起抄
当寺は大津市坂本天台真盛宗総本山西教寺の三大末寺の一つであります。
寺伝によると延暦二十四年(805)伝教大師が創建され、明応元年(1492)と同四年に二度真盛聖人が御巡錫になり諸堂を復興されたが、二度目の明応四年(1494)二月晦日病の為「我れ無き後は志を励まして無欲清浄に専ら念仏を勤めよ」と遺戒され御遷化されました。
依って真盛聖人の御居間方丈の間へ御遺体を安置しました。
真盛聖人は嘉吉三年(1443)伊勢国大仰の里で地蔵菩薩の化身として御修行の後戒称二門(行いを慎しみ、弥陀の名号を称える)の御教えを開かれました。
上人は御柏原天皇より円戒国師、明治天皇より慈攝大師の称号を賜り、また昭和天皇より「慈攝」の勅額を下賜されています。
当寺は医王山無量壽院、また紫雲山とも申しますが、これは真盛聖人が御遷化の時御居間の上の五葉の松に七日間紫雲が柵引いたという故事によるものです。
また当寺は比自山の支脈の東に面し、前に木津川が流れ、市街地を一望する高台にあって山紫水明の佳境に位置します。
平成六年には墓地三万六千七百七十八平方メートルを改葬しました。
末寺は伊賀全域と山城大和の一部を入れて三十ヶ寺、檀家は長田、朝屋、大野木、木興、旧上野市街地と他府県を併せて千余戸あります。
「春は花秋は紅葉と変われども何時も変わらぬ法の華山」と云われています。』
※ リーフレットより

『真盛聖人御本廟
三重県指定史跡
真盛聖人は嘉吉三年(1443)三重県一志郡一志町大仰に御生誕。
滋賀県大津市坂本西教寺を中心に教化、礼儀の道を正し慈悲正真の心がけを説きある者は主君より崇められ、ある者には父母の如く慕われた。
明應四年二月晦日、当西蓮寺にて示寂埋葬し奉り五輪の石塔を建立す。
生前御土御門天皇より真盛聖人の号を授けられ遷化後御柏原天皇より円戒国師、明治天皇より慈攝大師を勅諭され御本廟正面には昭和天皇より下賜された「慈攝」の勅額が掲げられている。』
※ 境内掲示より

前回訪問した時には気が付いていなかった薬師堂にも今回は参拝出来ました。
他にも藤堂家の代々の墓所や観音堂、三塔(県史跡)、一石一字経塔、服部士方墓(市史跡)、キリシタン燈籠、三代采女元稠寄進の水鉢等々は別のレポートにまとめます。
紅葉のシーズンであれば鐘楼門前の石段上の紅葉が真っ赤になるようでリーフレットに写真が使われています。
広大な墓地にはまだ他にも有るかも知れませんのでまたの訪問した機会に散策してみます。
東方には上野城が見えます。
「西蓮寺の指定文化財」は別にレポートしました。