(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2016年07月16日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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津市戸木町 宮山城址


三重県津市戸木町にある「宮山城址(みややまじょうし)公式HP?〕」です。

三重県津市戸木町に鎮座する「敏太神社(としたじんじゃ)公式HP?〕」の境内にあります。

国道165号線を東へ進んで来ました。

大きな鳥居に気が付いて参拝しようとして案内板に気が付きました。


『津市指定史跡

宮山城址(みややまじょうし)

天文二十三年(1554)、木造具政が戸木の地に隠居をし、戸木御所(ごしょ)と言われました。

戸木御所(ごしょ)は、戸木城を堅牢なものとするとともに、宮山(敏太神社(としたじんじゃ)の北側の丘)の頂上付近に出城として宮山城(みややまじょう)を築きました。

宮山城(みややまじょう)の主要部分は、頂上部分で一辺約二十メートルの正方形の平面をもち、その周りに土塁(どるい)を積み上げています。

主郭の周りには空堀、土塁が巡らされていました。

天正十二年(1584)、大阪では豊臣秀吉が全国を統一し関白になりました。

戸木城の城主は木造具政の子どもの木造長政でした。

同年五月に藩主氏郷軍が戸木城を囲み、この時、宮山城(みややまじょう)は蒲生軍に攻め取られました。

現在は、主郭部分に稲荷社(いなりしゃ)が祀られていますが、土塁、空堀などは良く残されており、中世の山城の姿をとどめています。

管理者 敏太神社(としたじんじゃ)

津市教育委員会』

※ 境内掲示より



宮山城跡(みややまじょうし)

時代 室町時代

所有者 敏太神社(としたじんじゃ)

指定 昭和五十一年七月十五日

この城は天文年間(1532 - 1554)に木造(こつくり)具政(ともまさ)戸木(へき)城の北の守りの支城として築いたといわれています。

城は敏太神社(としたじんじゃ)の裏の丘陵頂を加工し、丘陵の最高所に主郭を設けています。

主郭の規模は南北20m、東西10mで、その周囲には高さ2 - 4mの土塁が取り巻き、また、虎口の全面にも土塁と堀があります。

丘陵の東・西・北には谷があり自然の堀となっています。

天正十二年(1584)の小牧・長久手の戦いの際、木造氏は織田信雄軍の一員として羽柴秀吉軍の蒲生氏郷と戦うことになりました。

この際、宮山城は主郭が単郭方形で外部施設として二重組みの堀・土塁を設け、堀に折れを持たせた織田・豊臣型の築城技術で改修されたと言われています。

この城の北東500mにある城山城も戸木攻めの城として築かれ、主郭は25m×12mの規模を持つ単郭方形で、二重組みの堀を設けていて、堀・土塁に折れが見られることから宮山城跡の縄張りとよく似ています。

おそらく、宮山城の改修とほぼ同時期に城山城が造られたと考えられます。

津市教育委員会』

※ 境内掲示より


主郭に至る道があったのかは解りません。

興味のある方は訪問してレポートして頂ければ幸いです。


関連情報レポートリンク

【城跡・城址】