
三重県津市久居元町に鎮座する「川併神社」です。
特に目的地も無く、国道165号線を津に向かって西へ走って来たのですが、渋滞になって来たので南下して来ました。
高速道路が出来た時に来たので「久居」という地名は知っていましたが、街中へ来たのは初めてです。
通りがかりで申し訳ないのですが、参拝することが出来て有難く思います。

『由緒
当社は式内社に列せられているが、創祀は詳かではない。
当社には寛永二年(1625)三月二十九日を最古として江戸時代の棟札を二十五枚伝えるが、その寛永二年のものに「野辺惣社」とみえ、久居城下設置以前に、当寺の村域の氏神であったことが知られる。
戦国時代、荒廃に帰していたが、寛永元年(1624)に工を起し、同二年現在の本殿が造立され、また同七年に山城国宇治郡木幡神社より八王子を勧請して配祀された。
また拝殿は元禄四年(1691)の造立で、久居藩主参列のもと盛大な完成式典が斎行された。
明治六年には村社に列せられ、同四十四年には各支郷の神社を合祀して現在に至っている。
平成十五年九月二十八日
野辺惣社 式内 川併神社』
※ 境内掲示より

『川併神社本殿のつくり
この神社の本殿は当地方には稀に見る古風な一間社春日造の様式を伝えている。
正面虹梁の上の蟇股には霊亀が波に浮ぶ文様を刻し、その両端には神獣に擬した象鼻を配するにあたり、拝者として自ら襟を正しめる。
元来この様式は切妻造の本殿に向拝を付けたものではあるが、両社を繋ぐに虹梁を用い、その上に大瓶束を置いて桁をうけ、また、海老虹梁を併用し、背面にも大虹梁上に壮大な彫刻をつけた大瓶束を立て、棟木を受けている。
軒裏は総じて賑やかに作られ、円柱上出組の間には風変わりな束を立て、また、軒支輪を具えている。
素木造の森厳さに加えて華麗な彫刻が到るところに用いられ、作者のなみなみならぬ苦心の程が察せられるのである。
(昭和三十六年三月二十九日記)
野邊惣社 川併神社』
※ 境内掲示より
式内社だそうですが、歴史を積み重ねているのですね。