(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2016年06月26日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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伊賀市上阿波 平松宿


三重県伊賀市上阿波にある「平松宿」です。

新大仏寺(しんだいぶつじ)から葦神社(あしじんじゃ)を探している途中で通りかかったのですが、看板を撮影している時に通行量が結構あったのでじっくりと読むことは出来ませんでした。

ところで伊賀八宿の平田宿(ひらたじゅく)の説明では『伊賀と伊勢を結ぶ伊賀街道。その宿場の名残を今に伝える平田宿(ひらたじゅく)は、平松宿(ひらまつじゅく)と同じく藤堂藩が公用荷物の運搬のため領内の主要街道に設けた宿場で、上柘植宿(かみつげじゅく)佐那具宿(さなぐじゅく)島ヶ原(しまがはらじゅく)簗瀬宿(やなせじゅく)阿保宿(あおじゅく)上野町宿(うえのまちじゅく)とともに、伊賀八宿と呼ばれていました。村の中心部にある街道筋の面影の残る通りで、「植木神社(うえきじんじゃ)祇園祭」の舞台となっています。』


平松宿の沿革

俳聖 松尾芭蕉が紀行「奥の細道」を大垣で終え、お伊勢参りの着ろ、栃の木谷を下って伊賀路へ入って詠んだ句が、あの有名な「初しぐれ 猿も小蓑をほしげ也」の句であるが、その句碑から近い所に上阿波宿があり、ここで一休みして上野へ帰ったのが元禄二年(1689)の初秋のことである。

当時、藤堂藩の伊勢と伊賀を結ぶ重要幹線道路として、また、お伊勢参りの旅人や伊勢と伊勢を往来する人々、荷物を運搬する街道としての伊賀街道に、伊賀八宿の一つに数えられた上阿波宿(元町宿)は最も重要な宿場町であった。

ところが元禄七年(1694)から九年(1696)と三年連続で大火災によって上阿波宿は復興が危ぶまれ、遂に元禄九年(1696)の十月、藤堂藩から宿場を平松村に移転するよう命ぜられ翌十年(1697)五月、平松宿の町普請が完成したのである。

僅か七か月の期間に現在に残る宿場の原形が出来たのは、不思議としか言いようがない。

明治二十三年(1890)から明治三十二年(1899)にわたり関西鉄道(現JR関西線)が全線(名古屋から湊町)開通したことによって、旅人と商人と荷物の交流がバッタリと止まり、伊勢と伊賀を結んだ伊賀八宿の最大の宿場町「平松宿」は衰退の一路を辿ることになる。』

※ 境内掲示より

なるほどね。