(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2016年06月22日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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津市美杉町竹原 竹原神社


三重県津市美杉町竹原に鎮座する「竹原神社(たけはらじんじゃ)」です。

青山町から桜峠を越えて津市美杉町八知に鎮座する仲山神社(なかやまじんじゃ)に辿り着いてしまいました。

名張へ南の本伊勢街道から戻るか北の国道165号線で戻るかを考えた時に北側に未訪問の神社が少なからずあることから北に向いてやってきました。

前回は始めてこの周辺に来たので、東側にある君ケ野ダムの桜を見たのですが、この神社には気が付いていませんでした。

そういえば雲出川って天気予報の中によく出てくるのですが伊勢湾に流れ込んでいることも知りました。


竹原神社(たけはらじんじゃ)御由緒

当社はもと白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)と申し上げ加賀国一宮白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)の御分霊で、第三十六代孝徳天皇の御代の御鎮座と伝えられている。

往古、家城村の鎮徳上人という僧が加賀の白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)に参り、御分霊を拝戴して帰国の途中家城村瀬戸ヶ淵の傍の岩に笈を掛けて休憩していると笈中の御分霊が七羽の白鳥に姿をかえて飛び去り、その留まる所七ヶ所に社を建てて氏神としておまつり申し上げた。

大正時代の記録によると小倭、竹原、飯福田、川口八対野山田野家城の七社を七白山と言い敬い巡拝するもの最も多しと記されている。

徳川南龍院頼宣候の崇敬殊に厚く、竹原七百五十余石の中から社領として年々一石六斗余を神社に寄進されているので、一般の崇敬も著しいものあり、明治四十一年に至って村内それぞれの字でおまつりしていた神社を合祀し、竹原神社(たけはらじんじゃ)と申し上げ今日に及んでいる。

中でも八手俣大河内に鎮座の須賀神社(すがじんじゃ)は大河内天王と称し、昔伊勢の国司北畠氏の鬼門除けの神として奉斎されていたもので、厄病除けの神として多くの人の崇敬の的であった。

一月の三が日と六月十四日の祇園祭には多数の参拝者があったと伝えられている。』

※ 境内掲示より



『津市指定有形文化財

所有者 竹原神社(たけはらじんじゃ)

時代 江戸時代

竹原神社(たけはらじんじゃ)本殿(彫刻)

平成三年二月十五日

本殿は明治二十九年(1896)の棟札によれば、宝暦十年(1760)に消失して、その直後の同十四年(1764)に再建されています。

銅板檜皮葺の一間社春日造で、正面には唐破風が付いています。

本殿は、向拝の蟇股には龍、正面の蟇股に波と鶴を浮き彫りにし、欄間には雲と龍を、身舎左右に麒麟、脇障子は向かって右に松と鶴を浮き彫りにし、欄間には雲と龍を滝、左に竹に虎、手挟みに菊が配されるなど各所に様々な彫刻が施されています。

棟札銘

白山姫神社及末社二宇寶暦十庚辰七月二十八日暁消失同十四年奉造榮同

六月奉正遷宮其砌裏面之五十八名各銀子三百目宛寄附 ● 依 面 記し 置もの 也

當時奉仕別當 薬師寺住職 鶴堂元瑞 記

<裏面>

(人名省略)

右消滅明治二十九八月奉仕社掌田中穂 男 秀穂改書

津市教育委員会』

※ 境内掲示より


この周辺の地域のことは全く知らないといっても誤りではありませんのでもう少し勉強してみたいと思います。


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