
三重県松阪市殿町に鎮座する「本居宣長ノ宮〔公式HP〕」です。
隣接して松阪神社が鎮座していますが、境内地の境界は良く解りません。
この神社の正面鳥居の向かいは松坂城址になっています。
両社とも参拝したのですが、歴史音痴の私は本居宣長の名前しか知りません。

『本居宣長とは
本居宣長は松阪が生んだ江戸期を代表する国学者です。
著作「古事記伝」は宣長が三十五年かけて完成させた古事記の注釈書で、国学者の研究成果では最高峰とされています。
宣長は日本の歴史をふりかえり、日本人のアイデンティティを深く探求した人でした。
「もののあはれ」という考え方は日本人固有の感性の発見として示唆に富むものであり、全くの独創です。
それまで(江戸中期まで)漠然と習俗化していた土着信仰に正当な思想性を与えたのも宣長の大きな成果で、その影響は私たち現代人にも少なからず及んでいます。
八百万の神の前で常に謙虚であろうとする日本人の精神性にしっかりとした支柱を打ち立てた大思想人は、いま四五百之森に静かに祀られています。』
※ 公式HPより

そもそも国学って『日本の江戸時代中期に勃興した学問である。江戸時代を代表する学問の一つで、和学・皇朝学・古学(古道学)などの別名がある。その扱う範囲は国語学、国文学、歌道、歴史学、地理学、有職故実、神学に及び、学問に対する態度も学者それぞれによって幅広い。(Wikipedia)』という事です。
解らないはずです。
私には理解できていないのは当然だろうと思いますが、定義としては成立していないと思うのですが如何なんでしょう。
江戸時代に学者と言えばそういう事でしょうか。