(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2016年05月18日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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松阪市殿町 国史跡 松坂城跡(松阪公園)


三重県松阪市殿町にある「国史跡 松坂城(まつさかじょう)跡(松阪公園)」です。

国道165号線を東へ進んで伊勢湾まで進むつもりが、久居附近の渋滞で南下して松阪市に辿り着きました。

無計画に事前情報も無しに土地勘も全くない松坂市にやって来たので自らの位置取りすらできませんでした。

何やら石垣があるので目標に辿り着きました。


国史跡 松坂城跡(まつさかじょうあと)

指定 平成二十三年二月七日

面積 47,337,30㎡

松坂城(まつさかじょう)は、蒲生(がもう)氏郷(うじさと)が天正十六年(1588)この四五百森(よいほのもり)に築城した平山城である。

蒲生(がもう)氏郷(うじさと)が陸奥黒川(現在の福島県会津若松市)へ移封後、天正十九年(1591)に服部(はっとり)一忠(かずただ)、文禄四年(1595)に古田(ふるた)重勝(しげかつ)と城主が変わり、元和五年(1619)に徳川(とくがわ)頼宣(よりのぶ)が和歌山藩主となると同時に和歌山藩領となり、以降、明治なるまで勢州領(松坂・田丸・白子等)十八万石を統括する城代が置かれて来た。

城は北を大手、南を搦手(からめて)とし、本丸・二ノ丸・三ノ丸・隠居丸・きたい丸からなり、本丸・二ノ丸等には高い石垣を築き、外郭に土塁や堀をめぐらせていた。

三層の天守と金ノ間・月見・太鼓等の櫓がそびえたっていたが、正保元年(1644)の台風で天守は倒壊したと伝えられている。

また、二ノ丸には寛政六年(1794)に着工された御殿(別名徳川陣屋)があった。

明治十四年(1881)松阪公園となり、現在に至っている。

平成二十三年三月九日 松阪市教育委員会』

※ 境内掲示より


此処に至る前に同町内に鎮座する本居宣長ノ宮(もとおりのりながのみや)松阪神社(まつざかじんじゃ)に参拝しました。

その跡でこの「国史跡 松坂城跡(まつさかじょうあと)」と「御城番(ごじょうばん)屋敷」に気が付きました。

土地勘も無く事前情報も無ければこんなことになります。

それにしても、城跡はあちらこちらに存在しますが、「重要文化財 旧松坂御城番長屋」は初めてです。

城跡には梅林や立派な藤棚があり、私たちの興味をそそります。

春には桜の花が素晴らしいという事です。

城跡内には「国指定特別史跡 本居(もとおり)宣長(のりなが)旧宅 本居(もとおり)宣長(のりなが)記念館」や「歴史民俗資料館」もあります。

時期を選んで訪問する必要が有りそうです。

「梅」と「桜」と「藤」で三回も時期をずらせて訪問しないといけないようです。


関連情報レポートリンク

【城跡・城址】