(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2016年04月21日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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松阪市殿町 松阪神社


三重県松阪市殿町に鎮座する「松阪神社(まつざかじんじゃ)公式HP〕」です。

隣接して本居宣長ノ宮(もとおりのりながのみや)が鎮座しているのですが、境内地の境界が解りにくくていつの間にか松阪神社(まつざかじんじゃ)に入り込んでいました。

何となく国道165号線を東向いて走り海に辿り着くかなと思ってやってきたのですが、思わぬ渋滞になり、南へ方向を変えたら松坂城址(まつざかじょうし)に辿り着きました。

土地勘も無くどうしたものかと考え込んでしまいました。


松阪神社(まつざかじんじゃ)

主祭神

  誉田別命(ほんだわけのみこと)(八幡さま)

  宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)(稲荷さま)

合祀祭神(三十三柱)

  天照皇大神(あまてらすすめらおおみかみ)(国家鎮護・諸願成就)

  伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)(延命長寿・病気平癒・諸業繁栄・縁結び)

  伊邪那美尊(いざなみのみこと)(延命長寿・病気平癒・諸業繁栄・縁結び)

  建速須佐之男尊(たけはやすさのおのみこと)(祇園の神、牛頭天王、災厄祓・方位除悪疫除災)

  天御柱神(あめのみはしらのかみ)

  國御柱神(くにのみはしらのかみ)

  稚日女命(わかひるめのみこと)

  栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)

  豊受大神(とようけのおおかみ)(外宮さん、五穀豊穣)

  高木大神(たかぎのおおかみ)

  天津日子根命(あまつひこねのみこと)

  活津日子根命(いくつひこねのみこと)

  熊野久須毘命(くまのくすびこのみこと)

  多紀理毘賣命(たきりひめのみこと)

  多岐都毘賣命(たきつひめのみこと)

  天棚機姫命(あめのたなばたひめのみこと)

  思兼大神(おもいかねおおかみ)(智恵の神、学問・合格・発明)

  天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)

  蛭子命(えびすのみこと)(えびす神、諸業繁栄・除災招福)

  大山祇神(おおやまつみのかみ)(山の神、産業水運守護・開運出世)

  市寸嶋姫命(いちきしまひめのみこと)

  天之苔卑命(あめのほひのみこと)

  少名彦命(すくなひこのみこと)(医薬・酒の神、健康長寿・病気平癒・水商売守護)

  素莵命(すうさぎのみこと)

  火霊神(ほむすびかのかみ)(秋葉さん、愛宕さん、火難消除・防火)

  金山彦命(かなやまひこのみこと)

  猿田彦命(さるたひこのみこと)(交通安全・旅行安全・建築)

  安徳天皇(あんとくてんのう)

  大国主命(おおくにぬしのみこと)(大黒さん、開運招福・縁結び)

  事代主命(ことしろぬしのみこと)

  住吉三神(すみよしさんしん)(上・中・底筒男命、海上安全・水難除・子授け・安産)

御由緒

当社は古来「意悲神社(おいじんじゃ)」と称し、平安時代以前の創立で、飯高の國式内社九社の一座と伝えられているがその創立年代は詳らかでない。

室町時代末期の天正十六年(1588)蒲生飛騨守氏郷が、飯高郡矢川庄の宵の森(古くは意悲の森)と呼ばれていた丘に築城された時、この森の南の丘に鎮座していた当社を新たに御造営され、城の鎮守社と定められた。

氏郷は、天正十二年(1584)秀吉公から伊勢の松ヶ島城主に任ぜられ、近江の國日野町から松ヶ島に移ってきたが、その時この宵の森(現四五百之森(よいほのもり))の地の利に着目して、この森に築城を急いだ。

又この矢川の庄を「松阪」と名付けて、城下町を造り始めた。

そして松ヶ島から強制的に寺社や商人を「松阪」へ移住させ、近江の日野商人も招いた。

楽市楽座を実施して誰でも自由に商業を営ませた。

又その頃まで海岸寄りにあった、伊勢参宮街道を松坂の中央へ引き入れた。

天正十六年に城が完成し、氏郷(うじさと)は入城して「松坂城(まつさかじょう)」と名付けた。

この時当社に、新たに武士の尊崇の神である「正八幡(しょうはちまん)」を勧請して、誉田別命(ほんだわけのみこと)(応神天皇)を合わせ祀り「八幡宮(はちまんぐう)」と唱えた。

後世、江戸に雄飛した伊勢商人が生れた町が松阪であり、近世の商都松阪の繁栄についても蒲生(がもう)氏郷(うじさと)は、その基を造ったので松阪の功労者と云える。

その後、氏郷(うじさと)は会津若松へ移封となり、文禄四年(1595)古田兵部少輔重勝が、松坂城(まつさかじょう)主となって入城し、更に自ら信仰していた宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)(お稲荷さん)を勧請して、当社に相殿としてお祀りすることになった。

その後、元和元年(1619江戸初期)紀州藩徳川(とくがわ)頼宣(よりのぶ)の領地となり、以後、明治維新までの二百五十年余り松阪城は、紀州藩伊勢領十八万石の要地となり、城代の居城となった。

この長い年月、当社の神官を務めた、飯高氏の子孫と言われる笠因(かさより)家という社家が代々当社の社司を務め、南龍神社(なんりゅうじんじゃ)も兼務していた。

代々の紀州藩主は、松坂着城の都度必ず先ず当社に参拝し、又毎年一月元旦には、常に重臣を名代として参拝させられた。

明治維新となり、明治二年天皇伊勢行幸の砌、当社に名代として北小路殿を奉幣使として代表させられるなど、また明治四年には、郷社に列せられ遠近の人々の尊崇を集めた。

明治四十一年には、時の政府の方針により全国で神社合祀が行われたとき、松坂に於いても各所に祀られていた十七神社が当社に合祀され社名を「松阪神社(まつさかじんじゃ)」と改名が許可され、今日に及んでいる。

又現在の当社本殿は、昭和五年の御遷座の節、伊勢の豊受大神宮(とようけだいじんぐう)の三御殿の中の一つである、西宝殿をそのまま御下附を受け、松坂市内で「お木曳き」行事を行って造営した神明造の本数であったものに、千木・鰹魚木・銅板屋根の部分を新しくした由緒ある本殿であり、飾り金具や御鍵・御錠も共にその時拝受したものに今回焼き付けの金メッキを施したものである。

この様な豊受大神宮(とようけだいじんぐう)の拝戴は、全国でも当社だけであり、江戸時代以来二十年ごとに下附を受け、昭和五年は、第八回の拝戴であった。

また、境内中央に高く聳える御神木(楠の大古木)は、氏郷が、御造営の頃もすでに、この位置に五百年を経過した大古木になっており、現在では九百年以上経過した大木で、天空高く四五百之森(よいほのもり)に聳えている荘厳さは、実に美しい風景である。

参考文献・資料

「松阪神社史」・「松坂神社所蔵の古文書」・「登記書類綴」・「合祀せし神社の由緒記」・「三重県史」・「松阪市史」・「飯南郡史」・「松阪権典雑集」・「勢陽五鈴遺響」」・「蒲生軍記」」・「松阪の歴史(大西源一著)」など

祭典

歳旦祭(一月一日)・祈念祭・どんと焼神事(一月十五日)・少彦名命社例祭(二月二十二日)

春季例大祭(四月十五日)・祇園祭(七月中旬土・日・月曜日)・夏越祭(七月二十五日)

秋季例大祭(十月十五日)・初穂祭(十一月二十六日)・天長祭(十二月二十三日)

師走大祓(十二月三十一日)・月次祭(毎月一日)・初辰祭(毎月最初の辰の日)』

※ 境内掲示より


何とも凄い内容の濃い事に驚きました。


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