(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2016年04月09日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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伊賀市音羽 音羽氏城跡


三重県伊賀市音羽に鎮座する「音羽氏城跡」です。

同じく音羽に鎮座する「佐々神社(ささじんじゃ)」から東方向に進むと案内板が有ります。

何処にあるのかと道なりに登っていくと動物除けのネットがあるので戸を開けて登っていくことになりました。

伊賀の周辺の山麓の田畑にはネットが張り巡らされています。


音羽氏城跡の由来案内板

音羽氏城跡は、音羽集落の北側、丘陵尾根上に築かれた中世城館跡です。

江戸時代に言い伝えを書き留めた「伊乱記」には地頭音羽半兵衛及び城戸氏「伊賀旧記」には音羽半六が居城といった記載があり、明治期の地誌には城戸氏の城と伝えられていますが、城主が誰であったかは定かではありません。

音羽氏城は、戦国時代の文書から隣国近江の守護六角氏とのつながりが想定されており、「伊乱記」や「伊賀旧記」「勢州軍記」といった江戸時代の資料にも織田信長による伊賀攻めに関連した記述がみられます。

音羽氏城の痕跡は、標高三百三十二mを測る丘陵尾根に築かれた中心的な郭(主郭)を中心に北や南へ伸びる尾根に主郭への道や防衛のための平坦地(郭)が築かれていることが見受けられ、その範囲は東西三百五十m、南北約二百五十mに及びます。

三方を土塁によって囲まれた主郭は、広さ約五百㎡で、南東部には東に開口した石垣の築かれた入口(虎口)があり、南北方向の土塁には現在、一から二m前後の石垣が残存しており、西側土塁の中ほどには出隅の石垣が見受けられます。

石垣の高さが二m前後残されている中世城館として、伊賀地域は福地氏城(柘植)や田矢伊予守城(川合)、小野氏館跡(富永)などが知られていますが、音羽氏城は、丘陵に露出する花崗岩を石材として加工したものと考えられており、石を割った痕跡である矢穴痕が多数見られることが特徴です。

音羽氏城跡は、主郭を中心に道や小さな郭群が麓まで展開し、丘陵尾根や谷といった自然地形を巧みに利用した城造りの跡が残されており、戦国時代の城の姿を今に伝える、大変貴重な城跡です。』

※ 境内掲示より


伊賀市喰代にある「百地氏城跡」も私としてはなかなかのものであると思っていたのですが、この城館跡も実際に生活していたとすれば毎日この行程を登り降りするのは結構大変であったと思います。

イタリアでは町ぐるみで山の上の方に固まって集落を造っていたのですが、伊賀地方では各館が城となっていたようです。

そもそも天守閣のある城が建造された期間は短かったという事ですので城とは居を構えて守るという機能が重要であったという事でしょうか。


関連情報レポートリンク

【城跡・城址】