
三重県伊賀市丸柱にある「了源上人遭難の地〔了源上人ご殉難の地〕」です。
滋賀県甲賀市信楽町神山と三重県伊賀市丸柱の境になる七里峠(桜峠)になっていて、駐車場が滋賀県側にありそこから山道を少しばかり下ったところになります。
この場所は初めて通って気付いていたのですが、何となく通り過ぎていました。
何処かでこの話を耳にした記憶があるのですが思い出されません。

『了源上人遭難の地
伊賀市指定文化財
建武二年(1335)の十二月八日、京都仏光寺の了源上人が伊賀地方布教の帰途、この七里峠(桜峠)において、弟子の善了と共に殺害された場所で、
上人は死に臨み「我の死は宿業なり、此の者を罪するな、彼は懺悔の心あり、よろしく後世を教えよ」
と書き終え亡くなったという。
遺骸は上野市佐那具の了源寺に葬られている。
伊賀市教育委員会』
※ 境内掲示より

『了源上人ご殉難の地
了源上人真宗佛光寺第七代の宗主にして
親鸞聖人の念仏のみ教えを関東より東海・関西に広められ
建武二年(1335)十二月八日、ここ七里峠(桜峠)にて、法難に遭われた
碑文は流れる血汐でもって、わが衣の袖に書かれた遺戒である』
※ 境内掲示より
往古にはこのような道を使って行き交っていたという事が良く解ります。
大変な事であると思います。
先人の凄さに感嘆してしまいます。