
三重県伊賀市伊勢路に鎮座する「真言宗豊山派 閼伽井山 善福寺」です。
入口から境内に少し登ったら「伊賀西國第二十三番霊場」と彫られた石標が立っていますが、この霊場巡りは途絶えているのではないでしょうか。
ところが「伊賀四国八十八箇所の第二十一番霊場」と「三重四国八十八箇所の第四十一番霊場」になっているはずなのですが、関連する石標などは見当たりませんでした。
寺院上部は「城氏城址」になっているという情報があったのですが私には良く解りません。

『(町指定)絵画 (善福寺)
両界曼荼羅
金剛界・胎蔵界とも絹地に金泥極彩色で、細密な筆数で描かれている。
両図ともに縦117.3cm、横97.1cmある。
奈良・興福寺の絵仏師・芝淋賢の作とされる。
淋賢は室町時代の高名な絵仏師である。
もとは上野・愛宕山大福寺の旧蔵であったが、住職の良忍が両界曼荼羅が明治四年(1871)に不思議な因縁で手に入ったので、京都・智積院第十五代亮範に鑑定を請けたところ、まさしく淋賢の筆跡であった。
裏面には「享保十四年(1729)己酉臘年月朔日」の亮範の讃がある。
(指定) 昭和五十年九月二十日
青山町教育委員会』
※ 境内掲示より

境内に斜面に沿って登っていく階段があり、その上に聖天堂があり大聖歓喜天が祀られています。
中を覗うときちんと整理整頓清掃も行き届いているようなので、様々な仏事や修行等もおこなわれているのでしょう。
個人的には史跡や寺社仏閣を訪問して楽しんでいるのですが、河内平野ではあまり気が付かなかったというか、殆どなかったので「城跡」と言われてもピンと来ないのが実感です。
そもそも祖父母が彦根城の堀端に居を構えていたので、城跡と言えば天守閣が有り立派な石垣が有り、堀があるというイメージが強くて、伊賀の城跡を廻ってもあまりピンときません。