(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2016年03月06日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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伊賀市伊勢路 真言宗豊山派 閼伽井山 善福寺


三重県伊賀市伊勢路に鎮座する「真言宗豊山派 閼伽井山 善福寺(ぜんぷくじ)」です。

入口から境内に少し登ったら「伊賀西國第二十三番霊場」と彫られた石標が立っていますが、この霊場巡りは途絶えているのではないでしょうか。

ところが「伊賀四国八十八箇所の第二十一番霊場」と「三重四国八十八箇所の第四十一番霊場」になっているはずなのですが、関連する石標などは見当たりませんでした。

寺院上部は「城氏城(じょうしじょう)址」になっているという情報があったのですが私には良く解りません。


『(町指定)絵画  (善福寺(ぜんぷくじ)

両界曼荼羅

金剛界(こんごうかい)胎蔵界(たいぞうかい)とも絹地に金泥極彩色で、細密な筆数で描かれている。

両図ともに縦117.3cm、横97.1cmある。

奈良・興福寺(こうふくじ)の絵仏師・芝淋賢の作とされる。

淋賢は室町時代の高名な絵仏師である。

もとは上野・愛宕山大福寺(だいふくじ)の旧蔵であったが、住職の良忍が両界曼荼羅(まんだら)が明治四年(1871)に不思議な因縁で手に入ったので、京都・智積院(ちせきいん)第十五代亮範に鑑定を請けたところ、まさしく淋賢の筆跡であった。

裏面には「享保十四年(1729)己酉臘年月(つちのととりろうげつ)朔日(ついたち)」の亮範の讃がある。

(指定) 昭和五十年九月二十日

青山町教育委員会』

※ 境内掲示より


境内に斜面に沿って登っていく階段があり、その上に聖天堂があり大聖歓喜天が祀られています。

中を覗うときちんと整理整頓清掃も行き届いているようなので、様々な仏事や修行等もおこなわれているのでしょう。

個人的には史跡や寺社仏閣を訪問して楽しんでいるのですが、河内平野ではあまり気が付かなかったというか、殆どなかったので「城跡」と言われてもピンと来ないのが実感です。

そもそも祖父母が彦根城の堀端に居を構えていたので、城跡と言えば天守閣が有り立派な石垣が有り、堀があるというイメージが強くて、伊賀の城跡を廻ってもあまりピンときません。


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【伊賀四国八十八箇所霊場一覧】


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【城跡・城址】