(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2015年11月29日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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伊賀市馬場 陽夫多神社 Vol.2


三重県伊賀市馬場に鎮座する陽夫多神社(やぶたじんじゃ) Vol.2です。

広い境内地には数々の興味深い案内があります。

ひとつひとつを紹介しておきたいと思います。

全てが一見の価値ありという事を紹介します。


一条兼良の歌碑

ゆふかけて 猶こそきかめ ほととぎす 手向けの聲の 高松宮

一条兼良は、室町時代の國文学者でかつて関白太政大臣に職にあった。

五摂家の出身であり後世和学の(國学)祖と仰がれた人である。

晩年応神の戦乱を避けて奈良へ疎開中に美濃へ下向した帰途近江水口から玉滝寺(たまたきじ)を経て当神社前を通りし時にこの歌を詠む。

文明五年(1473)五月廿六日

前方に架かる高松橋では「渡りえぬ浮世の波におほられてかわ井の橋をふむぞあやうき」とも詠んでいる。

「後成恩寺道之記」より

中 主須武 記』



陽夫多神社(やぶたじんじゃ)梵鐘(ぼんしょう)

阿山町指定文化財

江戸時代、寛文七年(1667)の銘があり伊賀地方で3番目に古い。

総高1m59cm、口径92.5cm、仁兵衛の作で左記の文字が刻まれる。

伊州綾之郡河合郷高松山

牛頭天皇鐘国符

太守鎮護安泰

勧家附之道俗請

男女之志不白

早成畢而巳

干時寛文七丁未暦三月上吉辰

治工 仁兵衛作之

阿山町教育委員会』



歌碑

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を

ご祭神が出雲国の肥の滝の上流(斐伊町)にて、八俣の大蛇を退治して櫛名田姫と結婚、新居を結賀(島根県大原郡)の地に求められ宮居を作り給いし時そこから雲が立ちのぼったのを見て和歌を詠まれたのがこの歌である。(古事記より引用)

以上の伝承から文学の神として信仰が生まれた

宮司 ●● ●●』



山岸半残 句碑

汗かきの 氏子あまたや 祇園の會

山岸半残は承応三年(1654)伊賀上野城下に生る。

藤堂玄蕃家の譜代陪審であったが、半残と号して芭蕉と師弟の信頼関係の深かった蕉門伊賀連衆の一人である。

半残が元禄九年から十五年にかけ伊賀七十八の名所を選び「伊賀名所句集」を編逑した。

その中に当薮田神社の祇園祭を詠んだ句として入集されている。

中 主須武 記』


願之山踊(がんのやまおど)

三重県指定無形民俗文化財

陽夫多神社(やぶたじんじゃ)の祇園祭り(八月一日)に行われ、病気平穏、家内安全の願掛けを解く神事として、文禄年間(十六世紀末)より現在の形で行われるようになったとされる。

踊りは青年の大踊りと男の子の小踊りに分れ、太鼓を乗せた屋形が綱で引っぱられ、踊り子は「ゲーニモサーニモ」のはやし声にあわせ太鼓を打ちながら境内を何度も往来する。

平成二十一年三月十一日指定 三重県教育委員会』


羯鼓踊(かっこおど)

伊賀市指定文化財

この踊りは、江戸時代の寛永年間に始まるとされ、大江にあった火明神社の境内で夏祭り(旧暦六月十四日)に行われていたが、明治四十一年に陽夫多神社(やぶたじんじゃ)に合祀されてからは、春祭り(四月二十日)に行われる。

農耕の予祝神事としてはじまる民俗行事の一つで、干ばつの時には雨乞い踊り、平穏な時には豊年踊りとして行われる。

踊り子は頭に山鳥の尾、背中にオチズイと呼ばれる飾りを付け、前には羯鼓を下げ、踊り歌と太鼓、ホラ貝の音にあわせて羯鼓を叩きながら踊る。

伊賀市教育委員会』


裸々おし

祈年祭

当夜、ふんどし姿の男衆が裸で押し合う神事がある。

五穀豊穣、厄払い、家内安全を祈る』


興味津々です。

更に宮山には「やぶた古墳の杜」があります。