(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2015年10月29日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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伊賀市西山 春日神社


三重県伊賀市西山に鎮座する「春日神社(かすがじんじゃ)西山春日神社(にしやまかすがじんじゃ)〕」です。

伊賀市北部の山麓を伊賀上野駅から正月堂(しょうがつどう)〔真言宗豊山派 普門山 観菩提寺(かんぼだいじ)を目指して西へ進んで来ました。

この山麓には山津波や土石流被害があった痕跡があり、記念碑なども数多く立てられています。

相当な被害があったということでしょう。


西山春日神社(にしやまかすがじんじゃ)

主祭神

  天児屋根命(あめのこやねのみこと)

例祭

  四月五日

春日大明神縁起〔奈良春日大社(かすがたいしゃ)社誌〕によれば、三笠山に御鎮座の春日四所大神に平安末期の久安三年(1147)正月七日西山庄より南都春日社の節供祭に御神供を備進、久安五年(1149)二月申日西山郷字赤衛谷を宮処と定め春日第三殿の天児屋根命(あめのこやねのみこと)を勧請とある。

鎌倉初期の文暦元年(1234)社殿消失、文和二年(1353)四月社殿再興、室町時代の弘治三年(1557)赤衛谷より現在地に移転鎮座される。

現在の本殿は江戸中期の延享二年(1754)造営にかかわるものである。

当社は古く平安時代から春日大社(かすがたいしゃ)の四節供祭の御神供料所であったので以来長く明治維新まで続けられた、大正十二年(1923)神供料復興の意味で太平洋戦争まで玄米一俵を奉納して来ましたが、戦後中断平成四年(1992)に復活して現在に至っています。

  明治四十年十月

  木生神社〔木之久々能智命(きのくぐのちのかみ)名山主真剣荒魂(なやまぬしまつるぎのあらたま)

  八幡神社〔応神天皇(おうじんてんのう)

  石神社〔息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)

  栗島神社〔少毘古那命(すくなひこなのみこと)倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

  佐三神社〔熊野八荘司之後裔(くまのはちしょうじのこうえい)本村長佐三衛門〕

  津島神社〔建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)

  浅間神社〔木花咲夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)

  神明社〔撞木賢木厳之御霊(つきさかきいずのみたま)天疎向津姫命(あまさかるむかつひめのみこと)

  山神社〔大山祇命(おおやまづみのみこと)

  熊野神社〔速玉之男命(はやたまのおのみこと)

  は春日神社(かすがじんじゃ)に合祀される。

明治四年(1923)村社に制定され大正三年(1923)神饌幣帛料供進社(しんせんへいはくりょうきょうしんしゃ)にに選定され今日に至る。

木生神社(きなじんじゃ)木生権現(きなごんげん)

宣化天皇の御代(535 - 539)に大山の頂を宮処と定め木之久々能智命(きのくぐのちのかみ)名山主真剣荒魂(なやまぬしまつるぎのあらたま)の二柱を祭神とし又神の使いは狼であると云うも由緒不詳なり。

〔三国地誌・西山考証〕

西山村字魔舘谷は真剣の頸を堕した処(首堕瀧)で、その多くの神霊は魔となって人々を悩ましたるに、その地を魔谷と云う。

その魍魎(もうりょう)は多くの村民を煩わしたので山獄の頂に真剣の霊を祭り神木を盗んだ悪心を悔い善に帰りたいと願う荒魂と共に木の神をまつり社の称号を木生と号した。

社を斎した祟りと又社の東北阪を通る馬も多く煩うをもて東向ある祠を南に向けて弘治二年(1556)より始めし祭り(ナスビ祭)を今尚執り続けている。』

境内掲示より


山麓は緩やかになっているようですが山膚は急峻で今日でも災害の危機はあるようです。

日本の歴史は祟りが絡んだ物語が少なからずあるようですが、神社で祀られているのは祟り神が少なからず含まれています。

この辺りは菅原道真公はあまり見かけませんが、東大寺(とうだいじ)との関係はかなり深いようです。

いろいろと出てきます。


関連情報レポートリンク

【伊賀 神社参拝案内 一覧】〔名張市〕・〔伊賀市〕