(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2015年10月04日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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伊賀市予野 千賀地城跡・服部半蔵・藤堂采女正 誕生の地


三重県伊賀市予野にある「千賀地城(ちがちじょう)跡」です。

興味深いのは「服部(はっとり)半蔵(はんぞう)藤堂(とうどう)采女(うねめ)正 誕生の地」の石標に彫られた文字です。

実は何度も前を通っていて、石標に彫られた「千賀地城(ちがちじょう)址 入口」という文字がずっと気になっていました。

何度も立寄ろうと思ったのですが、カメラを持っていなかったり天気が芳しくなかったりと言い訳っぽい状況が何度もありましたが、思い切って立ち寄ってみました。


千賀地城(ちがちじょう)

藤堂藩伊賀上野城代家老・藤堂(とうどう)采女(うねめ)正の生誕地と伝えられる。

この城は藤堂(とうどう)采女(うねめ)正の父・藤堂(とうどう)則直の居城であった。

千賀地と称するのは地名であろう。

慶長十三年(1608)、藤堂(とうどう)高虎(たかとら)について伊賀、伊勢に入った藤堂(とうどう)采女(うねめ)正の石高は三千五百石であり、予野には千二百五十石の知行地があって、江戸末期まで上予野村(上出、前出等)には三十余名の被官(家来)が城を護っていた。

平成二十一年

花垣歴史研究会』


立派な石標が立っていて以下のように彫られています。


服部(はっとり)半蔵(はんぞう)藤堂(とうどう)采女(うねめ)正 誕生の地

服部(はっとり)半蔵(はんぞう)は、天文十一年(1542)此の堡に生まれ千賀地(ちがち)氏を稱す。

鞍馬権現を念じ十八歳にして遁形の術を得、海内一の忍術者となる。

徳川家康に仕えて後年江戸半蔵門に住す。

文禄四年(1595)歿す 享年五十四。

天正十年(1582)子元則亦此の堡に生る藤堂(とうどう)高虎(たかとら)に仕え、藤堂(とうどう)采女(うねめ)正を稱す学徳高く、伊賀司城職となり、仁政を施して庶民の敬慕篤し、万治三年(1660)七十九歳を以て歿す。』


伊賀へ越してきて城跡の多さには驚きましたが、どちらかというと「館跡」のような気もします。

入口から入っていくと城跡へは民家の横の細い道を通らなければなりません。

私は声をかけて通らせていただきました。


関連情報レポートリンク

【城跡・城址】